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大谷翔平「じつは落選していた」楽天ジュニアのセレクション…そのエースだった“仙台の天才”は何者か「彼の剛速球で捕手が骨折」「仙台育英に進学」

posted2025/10/14 11:02

 
大谷翔平「じつは落選していた」楽天ジュニアのセレクション…そのエースだった“仙台の天才”は何者か「彼の剛速球で捕手が骨折」「仙台育英に進学」<Number Web> photograph by JIJI PRESS

ドジャース大谷翔平(31歳)。大谷が小6のとき“落選”した楽天ジュニア、そのエースの今を追った

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中村計

中村計Kei Nakamura

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 かつて大谷翔平よりも“天才”と呼ばれた同世代がいた。大谷に「負けた」と言わせた少年。大谷が落選した楽天ジュニアのエース……。天才たちは、30歳になってどうなったのか? 彼らの現在を取材した書籍『さよなら、天才 大谷翔平世代の今』が発売される。
 その書籍のなかから“消えた東北の天才”を紹介する。あの大谷が落選した楽天ジュニアで中心人物だった男、のちに仙台育英のエースとなる渡辺郁也。彼を追って、仙台を訪ねた。【全2回の1回目/第2回も公開中】

◆◆◆

 すぐには言葉の意味が呑み込めなかった。

「私が投げていたんで……」

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 渡辺郁也は困惑していた。

「私が投げていたんで…」の真意

 場所は楽天のホーム球場からほど近い居酒屋だった。そこは仙台エリアの野球関係者の御用達店でもあった。なので店主も興味があると思い、私は渡辺が仙台育英の選手だったことを告げると、こう返してきた。

「誰の代だっけ?」

 それに対し、渡辺は冒頭のような言葉を吐いたのだった。

 店主が何の反応も示さないのを見て、渡辺は少し間を空け、観念したようにつぶやく。

「一個下が上林の代です」

 店主はようやく納得したようだった。

 上林とは、中日の上林誠知のことである。仙台育英時代は1年秋から四番に座り、うまさも兼ね備えた左のスラッガーとして注目された。高校卒業と同時にドラフト4位でソフトバンクに入団し、5年目には自己最多の22本塁打をマークしている。

 渡辺は仙台育英を卒業したあと、東都リーグの強豪・青山学院大に進んだ。大学卒業後は地元の仙台に戻って大手の不動産会社に5年間、保険会社に2年間それぞれ勤め営業に励んだ。その名残なのだろう、渡辺は基本的に自分のことを「私」と言った。

 そして、2023年からは祖父が始めた実家の自動車整備工場で働いている。渡辺を含めて整備士数名の小規模な工場だ。

 渡辺は「営業も疲れちゃったんですよね」と語る。

「営業をやってると(経歴は)すごい武器になるからって言われるんですけど、それができなくて。育英のエースだったと言っても、誰もわからないんです。そんなに周知されていない代なんで。『誰の代?』って聞かれても、私、投げてたんで。俺の代だし、って。上林の名前とかを出さないとわからない。それが嫌で」

 そこまで話を聞き、ようやくわかった。「私が投げていたんで……」というフレーズに込められた意味が。つまり、渡辺はこう言いたかったのだ。自分は「自分の代だ」と。

「東北の天才」渡辺郁也とは何者か

 渡辺は仙台育英で1年夏からベンチ入りを果たしている。3年夏はエースとして甲子園のマウンドを踏み、2勝を挙げた。経歴だけ見れば、立派な野球エリートだ。

 社会人となった後も学生時代、運動部でレギュラーを張っていたか補欠だったかは何となく顔に出るものだ。そこへ行くと渡辺は圧倒的な「レギュラー顔」をしているのだろうなと想像していた。

【次ページ】 「東北の天才」渡辺郁也とは何者か

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