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「防御率は23点台…眠れないほど悔しかった」偏差値70超・開成高野球部出身“打たれまくった”ピッチャーが東大野球部の64連敗を止めるまで
posted2023/04/04 11:05
text by
沼澤典史Norifumi Numazawa
東京大学の合格者数において、41期連続トップ、全国にその名をとどろかせる名門・開成高校。偏差値70を超える日本有数の最難関校出身者には、岸田文雄総理大臣をはじめ、政界、経済界、財界などに錚々たるOBが並んでいる。一方で、近年は開成から東大野球部へ入部した選手が、リーグ戦で活躍し、社会人野球まで挑戦するケースが目立っている。開成に入ることで学業エリートの道を選んだはずの彼らは、どのような思いで野球に取り組んでいるのだろうか。 【全3回の2回目/#1、#3へ】
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開成高出身で“初めて勝った”ピッチャー
開成出身の選手で東京六大学リーグで活躍し、社会人野球へ進んだのは、「開成、1000年に1人の逸材」宮崎湧(23年卒、崎の字は正しくはたつさき)だけではない。(※宮崎については、前記事<「開成高野球部、1000年に1人の逸材」偏差値70超・東大合格者全国1位の開成高から東大野球部で主力になった“スゴい天才”ってどんな人生?>参照)
宮崎の1年先輩の奥野雄介(22年卒)は昨年、三菱自動車倉敷オーシャンズに入部した。ポジションはピッチャーで、東大時代には連敗を64で食い止める力投を見せた。開成出身の投手が、リーグ戦で勝利投手になるのは、初めてのことだった。奥野も開成史上屈指の逸材であることは間違いない。そんな奥野は開成を目指したきっかけをこう話す。
「塾の成績が良かったのもありますが、小学4年生のときに親に連れられて、開成の一大行事である運動会を見に行きました。そこで、応援の迫力や熱量に圧倒され、憧れたのが受験の決め手でしたね。小学校まではサッカーをしていたんですが、2年生のときにベイスターズの試合を観て好きになり、中学では野球をしようと考えていました」
ゆるい部活が激変「忘れたのか…だったら走っとけ」
奥野は開成中学の軟式野球部に入部。しかし、専用グラウンドがないため練習は週2~3回にとどまり、指導するのはもっぱら高校の軟式野球部の先輩だった。奥野によれば「遊びの延長線上で、内実は同好会」というほどゆるい活動だったが、奥野が中学2年生のときに、筑波大野球部出身者の蔵内雄大が顧問に就任する。