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「甲子園でエース、猛勉強で東大合格」のスゴい人生…100年間で24人だけの天才は今、どんな仕事をしている?「正直、挫折しまくりですよ」
text by
沼澤典史Norifumi Numazawa
photograph byKYODO
posted2022/11/27 17:02
2005年、じつに72年ぶりにセンバツ出場を決めた高松高。捕手・中村信博はベンチ入りを果たし、二浪を経て東大に合格する
母の言葉を胸に、楠井は世界を相手にする海運企業、商船三井に入社する。東大野球部は、就職の際にさまざまなOBとの縁があることは既報の通りだが、楠井はあえてOBのいない商船三井を選んだ。
「東大野球部、元甲子園球児という肩書きを完全にリセットして、私のことを知っている人がいない環境で実力を試したかったんです。野球部OBの進路名簿を見ると海運業界にはいないようだし、母の遺言とも事業内容が合致すると思い、商船三井を目指しました」
「最大の心残りが高校野球にある」
楠井は現在も商船三井に在籍し、スウェーデン留学などを経て、フェリー事業に携わっている。楠井は甲子園や東大で、一流選手や頭の切れる学生を目の当たりにし、世界の広さを感じたが、同社でも同様の経験をしているという。
「肌の色がみんな違う環境で育った人、手足がない人が普通にクラスルームにいるなかで育った人など色々なバックグラウンドと価値観を持った人と出会えて、両親が言っていた『世界を見ろ』というのはこういうことかと実感しています。まだまだ、現状に満足しきっているわけではないですが、自分の子どもにそういう経験をさせられる存在になること、そして会社ではいい組織を作ることが次なる目標ですね」
楠井は東大野球部への入部を第一とし、高校野球は受験勉強のために夏前に引退した。結果から見ると、掲げた目標をすべて達成し、順風満帆な人生のようだが、最大の心残りが高校野球にあるという。
「夏前に引退して自分にプレッシャーをかけて、受験をやり切ったことはよかったと思っています。ただ、心残りなのは、センバツが終わった後にチームを引退すると決断したときに、『お前がいなきゃチームとして成り立たないから残ってくれよ』とチームメイトに言われなかったこと。そういう存在になりきれなかった自分に、少し後悔している部分があります。もし何人かに引き止められていたら、どうしていたんだろうと、ふと考えますね。その経験から『楠井といると成果が出そう、何かが起きそう』と感じてもらえる存在になりたいと思いながら、社会人生活を過ごしています」