Number World Cup ExpressBACK NUMBER
「中山隊長ゴンゴール!って今も歌えちゃう」東京五輪の卓球金メダリスト・水谷隼が明かす磐田仕込みのサッカー愛
posted2022/09/27 11:00
text by
渋谷編集室 with ABEMASports Graphic Number with ABEMA
photograph by
Kiichi Matsumoto
――水谷さんが小学生の頃はジュビロ磐田が黄金時代で毎年優勝を争っていました。当時はスタジアムにも観戦に行かれていたんですか。
水谷 当時は常に首位争いをするぐらい強くて、僕も含めて地元の男の子たちはみんなサッカーをやっていましたし、ヤマハスタジアムにもよく試合を見に行っていました。好きな選手はやっぱりゴン中山さん(中山雅史)。中山さんが得点を決めると、サポーターがゴール裏で選手チャントを歌うんですが、僕も一緒に声をはりあげて応援していました。「中山隊長ゴンゴール ゴンゴール ゴンゴール」って、今も歌えちゃいますね(笑)。サッカー界では三浦知良さんが「キング」と呼ばれていますけど、僕にとっては中山さんも同じぐらい「キング」的な存在です。なんでかわからないけれど、自宅にはゴン中山さんのサインが飾ってあって……多分、磐田市民は全員持っているんじゃないかなぁ。
ジュビロと過ごした少年時代
――やはり地元の人にとってジュビロ磐田は親しみのある存在なんですね。
水谷 かなり近いですね。磐田の駅前の商店街にある道を『ジュビロ―ド』というんですけど、そうやって街全体でサッカーを支持するみたいな感じでしたし、『ジュビロサブレ』というお菓子が磐田定番の土産になってました。小学生の頃、家族でボウリングに行ったときに、『外国人がいるな』と思って隣のレーンを見てみたらドゥンガがいたこともあります。ドゥンガじゃん!って。
一番、印象にのこっている試合は、静岡スタジアム・エコパのこけら落としとなった清水エスパルス対ジュビロ磐田の「静岡ダービー」(2001年5月)ですね。磐田は中山さん、高原(直泰)さんがいて、清水も日本代表経験者がたくさんいました。どっちが勝ったのかは記憶が曖昧ですが、あのスタジアムの熱気は忘れられません(実際は0-0のまま突入した延長前半14分に平松康平がVゴールを決め、清水が劇的な勝利)。