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なぜトヨタは挑戦しつづけるのか。
極限状況が人とクルマを鍛える。
posted2017/03/31 11:00
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Number編集部Sports Graphic Number
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TOYOTA
トヨタが最初にモータースポーツに挑戦したのは1957年の豪州1周ラリー。2年前に発売したクラウンで参戦し、約半数がリタイアする過酷なレースで、完走車52台中47位でゴールした。その頃、トヨタ自動車創業者の豊田喜一郎は、こんな言葉を残している。
〈オリンピックにおいて全身全力を挙げて自分の力を試すと同じ様に、オートレースに於いてその自動車の性能のありったけを発揮してみてその優劣を争うところに改良進歩が行われ、モーターファンの興味を沸かすのである。〉
「まさにその言葉どおりです。モータースポーツに全力で挑むことで、クルマの改良進歩が図られ、取り組む人たちも鍛えられる。当時の人たちの想いをくめば、『もっといいクラウンをつくりたい』と」
トヨタ自動車モータースポーツマーケティング部部長の北澤重久は、そう語る。
「ラリーは人とクルマを鍛えるのに最適な舞台」
注目すべきは、その歴史が一般公道を市販車ベースのクルマで競うラリーから始まったことだ。以来、トヨタはWRC(世界ラリー選手権)に積極的に取り組んできた。'75年にワークスとして初優勝すると、'84年からサファリラリーを3連覇、'93、'94年には2年連続ドライバーズとマニュファクチャラーズの2冠に輝いた。F1に専念するため、'99年で撤退するが、今年から復帰。豊田章男社長は、昨年12月の参戦体制発表会でこうコメントした。
「あらゆる道を走る競技であるラリーは、人とクルマを鍛え上げるためには最適な舞台です」
想いは60年前と同じということだろう。
「世界中、同じ道はなくて、しかもさまざまな気候のもとでクルマは走らなければなりません。その意味で、世界中の道を知りつくすことが、クルマづくりには欠かせません。しかもラリーは、極限の状況下で争われるスポーツ。だからこそ、そこで得られた知見、技術、技能、精神は市販車にも生かされるのです」(北澤)