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折り重なる接戦。
text by
藤島大Dai Fujishima
photograph byShinsuke Ida
posted2009/01/29 00:00
全国から51校が集ったトーナメントは、1回戦から激しいゲームの連続に。
大会は近年まれに見るほどの接戦に次ぐ接戦と、波乱のドラマに彩られることとなった。
一度、死んだ身。スポーツライターの常套句である。なるだけ用いぬよう心がけたいものだが、常翔啓光の4大会ぶりの優勝に際してはピタリときた。
常翔啓光は、準々決勝の大分舞鶴戦で自在の攻撃力、準決勝の東福岡戦ではチャンスとピンチにおける伝統の集中力を発揮、御所工・実との決勝へ進んで、いくらか余力を残すかのように24-15で大会を制した。
御所工・実は、小柄ながら粒ぞろいで、SO吉井耕平は今大会のスターのひとりだ。どんなに狭いスペースでも攻略できるパスのスキル、正確なキック力、足腰の粘りもある。この司令塔を支える軽量FWは地を這うように動き、体の芯が強い。
そこまで御所工・実の堅守は大会随一だった。決勝へと至る4試合での平均失トライは0.5(常翔啓光は同2.0)である。
それなのに最も大切なファイナルの前半だけで3失トライ(後半は1)を喫した。なぜか。常翔啓光の攻撃、もっと述べれば、攻防一体の試合運びが、御所工・実の鍛え上げられた防御の枠を超えていたからだ。
キーワードは「仲間の成功を前提としたポジショニング」である。
常翔啓光のレギュラーの約半数は、付属の中学時代に大阪府選抜の主力として日本一を経験している。成功体験は深く刻まれていて、あいつがこう走ったら必ずここまでは進むのだから、自分はこのあたりに次のポジションをとる、という感覚はほとんど身体化している。ディフェンスにおいても同様で、あいつがここを埋めたら、こっちは大丈夫だから、あそこへ先回りしよう──。そうした危機管理能力は研ぎ澄まされている。だから時に、防御ラインが横一線でなく、サッカーのシステムのように重層的に変化したりする。
大分舞鶴戦に顕著だったのは、常翔啓光の選手たちの蹴り込まれたボールを確保する前後の独特の位置取りである。誰かが受ける。すると周囲の者がおのおのの感覚で散ったり寄ったり、深く構えたり、浅いところの一点でパスを受けようとしたり、自在に動く。
いざパスがつながる。ボール保持者が何事かを判断する。あらゆる意思決定に必ず仲間の誰かが反応できる。つかまっても抜けてもパスしても悪いことにならない。これは守る側にしたら止めづらい。
一見すると臨機応変。実は「啓光だけのルール」がそこにある。感覚と理論のちょうど中間のようなルール。言語化しにくい独自にして普遍的なルールが。
御所工・実のCTB岡本圭二主将の敗戦後のコメントがわかりやすい。
「相手のスピードが速く、抜かれるのを警戒しすぎて足が止まってしまった」
この場合のスピードとは、ハットトリックの切り札、WTB国定周央の足の速さにとどまらず、判断の速度、すなわち「あらかじめそこにいるポジショニング」をも示している。的を絞れず、準決勝まではあれだけ前へ出ていた防御の足も「止まってしまった」のだ。
終了間際の失敗の連鎖に誰しもが「死んだ」と思った。
冒頭、死んだ身……と書いた。
決勝の6日前、元日の花園第3グラウンド。今季そこまで公式戦21連勝のV最有力候補、常翔啓光は確かに息絶えかけた。
ベスト8進出をかけて東京と対戦、終了まで残り2分のところで0-3のビハインド。ただでさえ大ピンチであるのに、ここで相手の猛タックルにミスを連発、せっかくの敵陣深くから自陣へ押し戻され、こぼれたボールをさらにゴール前まで蹴り込まれた。
「あれで負けたと思いました」
剃髪の杉本誠二郎監督はのちに明かした。
過去6度の花園制覇、もともとカトリック系の学校ながら、何かに憑かれた修行僧のごとく幾多の修羅場をくぐった啓光ラグビーゆえ、観客も取材者も、この場面の少し前までなら「きっと逆転できる」と信じられた。しかし、時計が後半30分をさすあたりでの失敗の連鎖に「ついに死んだ」と思った。筆者もそうだ。最も選手を信じているはずの監督にして同じだった。
常翔啓光から見て右深くのゴール前、転がる楕円球に辛くも先に追いついたのは、負けているロイヤルブルーのジャージィだった。拾い上げ、起きて、つぶれ、左へ展開。そこから終末に向かいながら蘇生するような5次の攻撃を経て、30分13秒、CTB神田尞可が逆転のインゴールへ躍り込んだ。ゴールも決まって7-3。ほどなくノーサイドの笛は響いた。
今大会を切なくも彩った「接戦」のハイライトである。
なにより東京の厳しく前へ出るディフェンスと重く鋭いコンタクトは、大会史に記されるべきだ。背番号14、WTB栗田宙は、ここから先は誰にも止められなかった国定を複数回倒し切った。
東京の主将、SO玉村泰之は「自分たちのディフェンスは十分に通用した。こんなに頑張れたのは初めて。すごく楽しかった」と取材陣に話した。「負けて楽しい」も、ありがちな決まり文句には聞こえなかった。
常翔啓光は、いっぺん死んだことで、前回まで2大会連続で出場を逃し、いささか冷凍されたままだった肉体と魂に本物の熱が入った。「接戦を劇的に勝ち抜く」効果はかくも大きい。杉本監督は、いま、心より東京に感謝していると思う。
いわゆる「勝ち越し」しかないサッカーと異なり、ラグビーには「逆転」がある。僅差のリードは一本のPGでひっくり返される。ほんのわずかな反則が天国を地獄へと変える。
接戦こそはラグビーの華だ。
とりわけ負けたらおしまいのトーナメントでの接戦、しかも、ただでさえ心身の揺れ動く高校生のそれは胸にしみる。
東京が散った元日、茗溪学園は2大会連続の抽選に泣いた。前回と同じ佐賀工に7-7のドロー。あいにくの雨まじり、重量FWを向こうに、闘争心と研究の成果で対抗、流れはつかんでいた。後半、トライライン前でひたむきに体を張るも、ついにサイズでなだれ込まれた。
「ゲームで勝敗を決めたかった」(茗溪学園・川島淳之介主将)。後日、新聞に載ったコメントは、感傷ではなしに改善すべき問題点を具体的に示している。
接戦といえば、京都成章は、ノーシードから準決勝までひたひたと進み、御所工・実に0-3と食い下がった。しつこく、素早いディフェンスが、眺める者まで芝の上に引きずり込むかのようだった。もっとも攻撃は未完成。「攻める余力は残っていない」という感じは、これも高校ラグビーらしかった。
もうひとつの準決勝。常翔啓光は、前回の覇者・東福岡に22-15で競り勝った。こちらはラグビーの質においておよそ高校生らしくなかった。ゲーム理解があまりに深遠で、なんだか大人じみているのだ。前述の「サッカーのシステム状態」は、いずれの布陣にも出現した。
残念なのは、せっかく高次元の激突なのに、過剰に公平を意識するせいかレフェリングが小さく細かくなったこと。常翔啓光への不可解なシンビン、東福岡にとっての不可思議で深刻なアドバンテージ消失、終盤の相手ゴール前で身を低くする突進を「危険なプレー」とした過敏なペナライズ。手弁当に近いレフェリーに悪意のあるはずもないけれど、プレーよりも自身のルール解釈が優先されていた。
準々決勝、東福岡に肉薄した國學院久我山にも、密集の反則の連続に、いささか厳しいカードが出た。レフェリーの世界では正しい。だが青春はいっぺん限りなのだ。
1回戦にも質の高い内容はあった。一定レベルのコーチングの浸透は確かだ。そこから先は、本当に鍛えられた体をつくり、慣習を打破できるかが戦績を分けるだろう。