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「阪神には歴史はあっても伝統がない」故・小林繁が生前に語った“巨人-阪神論”とは「この球団では勝てない。だから僕は引退した」 

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元永知宏

元永知宏Tomohiro Motonaga

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posted2026/08/16 11:01

「阪神には歴史はあっても伝統がない」故・小林繁が生前に語った“巨人-阪神論”とは「この球団では勝てない。だから僕は引退した」<Number Web> photograph by Bungeishunju

阪神に移籍し、抜群の成績を残していた小林だが、いくら奮闘しても優勝には届かなかった。阪神、巨人を舌鋒鋭く斬った生前の肉声を紹介する

 小林は「阪神には歴史はあっても伝統がない」と言った。

「(伝統を)伝えるためには、経験がいるんですよ。どれだけ苦労したかという体験が。言われている言葉の意味はわかるんだけど、それを実際に取り入れることができない。言われることをやるのが怖い、試せないということ。自分が経験したことがないから、何か言われても意味がわからない」

 1980年代の巨人についても、小林の舌鋒は鋭かった。

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「新浦壽夫、小林繁の年代が巨人からいなくなった。だから伝統を受け継いでいないんですよ。バツーンと抜けちゃった。そうすると、伝えなければならないものは消えますよね」

引退したのは、このチームでは勝てないから

 30歳の若さで引退を決断した理由については重ねてこう言った。

「チームのために戦うという意識が継承されないと、本当の伝統とは言えない。阪神にはそれがなかった。だから、勝てない。僕の引退した理由はそれです。このチームでは勝てないと思った。

『自分だけ』という考え方の人間がつくりあげる組織では、同じことの繰り返しになる。18年前(1985年)に阪神が優勝できたのは掛布雅之、岡田彰布、ランディ・バースの力があったから。個人の力があったからで、組織の力じゃない。案の定、そこから……」

 1985年にリーグ制覇を果たし、初めての日本一になった阪神は、その後2003(平成15)年まで覇権から遠ざかった。2005年に優勝したあとも、2023(令和5)年まで優勝できなかった。

 20年以上前に語ったこの組織論には、いまだに説得力がある。

 11年間のプロ野球人生のうち、6年間を巨人で戦い、残りの5年間を阪神で過ごした小林。日本を代表する名門2チームで139勝(巨人で62勝、阪神で77勝)を挙げた投手は彼以外にはいない。

(初出:『ぴあベースボールMOOK Vol.3 猛虎改造』〔ぴあ〕より加筆修正)

〈つづく〉

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