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「阪神には歴史はあっても伝統がない」故・小林繁が生前に語った“巨人-阪神論”とは「この球団では勝てない。だから僕は引退した」
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元永知宏Tomohiro Motonaga
photograph byBungeishunju
posted2026/08/16 11:01
阪神に移籍し、抜群の成績を残していた小林だが、いくら奮闘しても優勝には届かなかった。阪神、巨人を舌鋒鋭く斬った生前の肉声を紹介する
あの年にあったのは男の意地だけ
移籍1年目について小林は「トレードに出されて悔しくて、自分のためだけに野球をやっていた。プロ野球選手としてほめられたものではない」と語っている。「あの年にあったのは男の意地だけだ」とのコメントもある。
なぜそんなピッチングができたのか?
トレードで他球団に放出されたプロ野球選手の再生について、小林はこう語った。
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「環境が変わった人間は、1年目は必ず力を出す。この確率はかなり高いんじゃないですか。『今度こうやらないと去年と同じ目にあうよ』と強迫観念を植え付けると、選手は必ず働きます。
積極的に生まれ変わろうとする意識があるから、1年目は頑張れる。精神的な部分を含めて、何かが変わってくる」
1979年の自身についてもこう話す。
「26歳と脂が乗っている時期で、気をつけたのは精神的な部分だけでしたよ。今まで以上に頑張れたから、22勝もすることができた」
昔は骨が折れても野球をやっていた
巨人時代の1976年に出場した日本シリーズでは、7試合のうち6試合に登板したこともある(19回3分の1を投げて、2勝1敗1セーブ)。意気に感じれば、我が身を犠牲にすることもいとわないピッチャーだった。
「そう、昔はみんな、骨が折れても野球をやっていたから。それは何のためか。自分の成績のためじゃなくて、巨人が勝つため。今だったらギプスかもしれないけど、昔は折れた足にチューブを巻いてプレーした(笑)。そんなのに何の意味もない。でも、チームのために試合に出るという気持ちがあった。滅私奉公ですよ」
だから、小林は気持ちを前面に押し出して戦ったのだ。


