プロ野球PRESSBACK NUMBER
「阪神には歴史はあっても伝統がない」故・小林繁が生前に語った“巨人-阪神論”とは「この球団では勝てない。だから僕は引退した」
text by

元永知宏Tomohiro Motonaga
photograph byBungeishunju
posted2026/08/16 11:01
阪神に移籍し、抜群の成績を残していた小林だが、いくら奮闘しても優勝には届かなかった。阪神、巨人を舌鋒鋭く斬った生前の肉声を紹介する
「マウンドに上がる時は、死んでも自分からは降りられないと思っていた。そういう教育をされていた。ひとりひとりがそんな気持ちでいるから、組織の目標がひとつになっているから、強いんですよ」
しかし、小林が孤軍奮闘しても、阪神の成績は振るわなかった。22勝を挙げて初めての最多勝のタイトルと、2度目の沢村賞を受賞したが、チームは61勝60敗9分、勝率.504で4位に終わった。
阪神相手に9勝17敗と大きく負け越した巨人は58勝62敗10分、勝率.483で5位とさらに低迷した。
小林の奮闘もチームは優勝に届かず
ADVERTISEMENT
小林の活躍は移籍1年目だけではなかった。
1980年は15勝14敗とやや成績を落としたが、それでも280回3分の1を投げて、179個の三振を奪った。防御率は3.02。エースにふさわしいピッチングを見せた。しかし、チームは5位と順位を落とした。
小林はそれ以降も毎年二けた勝利(16勝、11勝、13勝)を続けたが、1983年のシーズン終了後にユニフォームを脱いだ。小林が勝っても勝っても、チームは優勝には届かなかった(3位、3位、4位)。
「僕は阪神に入る前に、常に勝ち抜く球団にいましたから。30歳で現役を引退したのは『この球団では勝てない。どんなにすごい選手がいても勝てない』と判断したから。
僕らのやっていた巨人の野球は川上(哲治)野球だった。最後に自分たちが勝つためにどうするかと一番に考えて、練習から生活まで何から何まで、全部決められていた。でも阪神は、明日のゲームに勝つための努力はするけれど、年間を通して勝つという意識がない。巨人は勝ち切るためにチーム全員が努力を続ける球団だった」


