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江川卓の初勝利をサポートも「礼を言われた記憶はないなあ」新浦壽夫が見た“江川−小林繁トレード”のすべて「二人とも愚痴は言わず…立派だったよ」
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元永知宏Tomohiro Motonaga
photograph byKazuhito Yamada
posted2026/07/31 11:04
騒動の末に入団した江川卓。彼の初勝利をサポートするためにリリーフについた新浦壽夫は、新たな時代の到来をどう見ていたのか
地獄の伊東キャンプの人選の意味
「長嶋さんに『僕は行かなくていいんですか』と聞いたんだけど、『疲れているだろうからしっかり休んでくれ』と言われました」
投手陣では江川、西本聖、角三男など20代前半の若手が、野手陣では中畑清、篠塚利夫、松本匡史などレギュラー獲りが期待される中堅選手が選ばれていた。
「江川に投手陣のリーダーとなってほしいというのが長嶋さんの願いだったと思う」
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1980年、巨人は61勝60敗9分、勝率.504で3位。その秋、長嶋監督は責任を取らされる形でチームを去った。
監督には藤田元司が就任し、現役を引退した王貞治が助監督についた。
1981年には、“地獄の伊東キャンプ”で長嶋に鍛えられた選手たちが躍動。セ・リーグを制し、V9以来、8年ぶりに日本一に返り咲いた。
41歳まで投げ続けた新浦
だが、1980年に「ひじがパンクした」新浦は登板の機会が激減。それから4年間で12勝しか挙げられなかった。
1984年には、韓国プロ野球に戦いの場を移した。
「巨人に育ててもらって、いろいろな球団でプレーしました。韓国に行く時に長嶋さんに『巨人を背負っていけ』と言われました。何をすればいいのか考えて、『自分の練習をすることだ』という結論になりました。休みたい時もあったけど、球場に行って、走って、ピッチングをしました。韓国の選手に『すごいですね』と驚かれましたよ」
3年間プレーした三星ライオンズで54勝をマークした新浦は、1987年に大洋ホエールズに入団。11勝を挙げて、カムバック賞を受賞した。
1983年のシーズンオフ、小林繁は引退を表明。30歳という若さだった。その5年後、江川も32歳でユニフォームを脱いだ。
「引き際がよすぎるよね。僕がやめる頃はもう体がボロボロだった(笑)。江川にしても小林にしても、思うことはたくさんあっただろうけど、愚痴めいたことは言わない。立派だったね」
新浦は大洋で5シーズン投げたのち、1992年に福岡ダイエーホークスとヤクルトスワローズの2球団でプレーし、そのオフに41歳で現役を引退した。
「僕は高校時代に甲子園で注目されて、高校を中退してプロ野球に入ったけど、そうじゃなかったら今何をしているかわからない。江川も作新学院を出た時にプロになっていたら、人生が変わっていただろうね」
〈つづく/近日掲載します。お楽しみに〉


