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「江川卓をエースにする」長嶋茂雄監督の苦難の時代を支えた左腕・新浦壽夫はなぜ江川のサポートに?「長嶋さんの“巨人のエース”のイメージは…」
posted2026/07/31 11:03
監督就任初年度はまさかの最下位、その後も日本一を奪回できない長嶋茂雄は「エース」の存在を求めていた
text by

元永知宏Tomohiro Motonaga
photograph by
Bungeishunju
V9の7年目、1971(昭和46)年に初めて一軍登板を果たした新浦壽夫は、当時のジャイアンツというチームの変化を知るひとりだ。9年間無敵を誇っていたように思われる巨人だが、V9終盤の数年はかなりの苦戦の末に王座を維持していた。特に野手の高齢化が顕著だったが、世代交代は進まなかった。それだけV9戦士に実力があったということの証でもある。
しかし、長く巨人をリードしてきたON(王貞治・長嶋茂雄)コンビは1974年オフの長嶋引退によって解散となり、片輪走行を余儀なくされた。1975年にはその長嶋が新監督に就任するが、開幕から敗戦が続いて長嶋への批判が殺到。誰の目にも戦力低下は明らかだった。
長嶋巨人の大苦戦
頼みの王貞治がオープン戦終盤に足を痛め、長嶋の後釜として期待された現役大リーガーのデーブ・ジョンソンは慣れないサードの守備に苦しみ、打撃も低迷した(打率.197)。
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「けがの影響があったのか、王さんがバットを振っても当たらない。ほかの選手も全然ダメで『どうなるんだろう……』と思ったことを覚えています。甲子園球場でフリーバッティングをしても、うちのバッターはまともな打球音がしない。打球がスタンドまで飛んでいかないんです」(新浦)
4月に挙げたのは4勝だけ、5月も大きく負け越した。低迷する巨人を“5強1弱”と揶揄する声もあがった。9月には11連敗を喫している。
最終的に王は96打点を挙げて5年連続10度目の打点王を獲得したものの、田淵幸一(阪神)に本塁打王を奪われた。二けた勝利を挙げたのは10勝(18敗)の堀内ひとり。ベストナインに選ばれたのは王だけだった。
17年間、巨人の看板選手だった長嶋にとって屈辱的な1年だった。


