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「延長18回と5連続敬遠」の共通点…星稜・山下智茂監督が81歳の今も心に秘める教訓「もしあの試合に勝っていたら、天狗になってクビだったかも」

posted2026/09/09 11:06

 
「延長18回と5連続敬遠」の共通点…星稜・山下智茂監督が81歳の今も心に秘める教訓「もしあの試合に勝っていたら、天狗になってクビだったかも」<Number Web> photograph by Tomohiro Motonaga

伝説の「延長18回」を指揮した星稜監督・山下智茂は80歳を過ぎた今も野球への情熱が衰えない

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元永知宏

元永知宏Tomohiro Motonaga

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1979年夏、箕島との「高校野球史上最高の試合」を経験し、星稜は強豪校へと成長していく。そして「ゴジラ」こと松井秀喜が入学した——。80歳を過ぎた今も野球の指導に情熱を傾ける山下智茂監督がこの試合で感じたこととは。〈連載『日本野球1979』「箕島春夏連覇編」全4回の4回目/はじめから読む

 1980(昭和55)年は春夏ともに甲子園出場を逃した星稜だったが、その後は甲子園常連校として誰もが認める存在になった。

 1981年春のセンバツから、5シーズン連続で甲子園まで勝ち上がった。山下智茂監督は当時をこう振り返る。

「(1979年夏の)延長18回を戦って、みなさんに『よくやった』と言ってもらいましたが、やっぱり負けたことは悔しかった。1、2年生はあの試合を経験したことで『次は頑張ろう』と思ったはずです。悔しければやり返すしかない。勝つ喜びを味わいたい。厳しい練習によくついてきてくれました」

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 それまでのスパルタ練習がさらに激しさを増した。

「目標が明確になりましたからね。日本一になろうと思ったら、箕島みたいなチームに勝たないといけない。それまではひたすら勝つことを目指していたけれど、“尾藤スマイル”を見たり、いろいろな人の話を聞くことで自分自身も変わりました」

 しかし、甲子園にたどりついても、勝利が遠い。

育てる野球に変えるために

 1989年1月7日に昭和天皇が崩御。元号が昭和から平成へと変わった。

「勝つ野球から(選手を)育てる野球にしようと考えました。練習の厳しさは同じですけど、グラウンド以外のことを変えましたね。たとえば、広島遠征の時には平和記念資料館を見学したり、海軍兵学校があった江田島まで移動して、自分たちと同じ10代の若者がどんな気持ちで戦争に行ったのか、平和を考えさせるようにしました」

 野球とは直接的には関係ないように思えるが、そうすることで選手の取り組み方が変化していった。

【次ページ】 もし“延長18回”に勝っていたら

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