近鉄を過ぎ去ったトルネードBACK NUMBER
「野茂があんなに笑うなんて」野茂英雄がアメリカで初めて見せた表情…優勝決定の直前、“あの名医”が姿を現し「球速が約20キロ上がった」記者の証言
text by
喜瀬雅則Masanori Kise
photograph byKoji Asakura
posted2024/07/11 11:05
高校、社会人、そしてプロ野球でも優勝経験のなかった野茂英雄。ドジャースの地区優勝を目前にした1995年夏に起きていたのは…
「日本のみなさんに伝えてくれ。私にヒデオ・ノモをくれて、どうもありがとうと」
興奮が止まらないラソーダの目は充血し、その福々しい頬も紅潮していた。
野茂コールと真っ白な笑顔
初めてのシャンパンファイトを終え、記者会見に臨んでいた野茂に、突如、チームメートからの「ノモコール」が沸き起こった。
白いシェービングクリームがてんこ盛りの紙皿を持って、朴賛浩が近づいて来た。
もう、やることは一つだ。
野茂の顔が、一瞬にして真っ白になった。大拍手と歓声。普段はぶっきらぼうな野茂の態度に、幾度となく不満を漏らし合っていた日本の報道陣も、その“白い笑顔”を見て、大笑いし、そして心からの拍手を送った。
ドジャースは、翌10月1日にシーズン最終戦を残していた。
もし、野茂が勝てず、優勝が最後の最後に決まる状態になっていれば、エースのラモン・マルティネスが先発する予定だった。9月に入っての不調で球速が落ちていなければ、この“スタンバイ”は、野茂の役目だったかもしれない。しかし、流れが変わり、まるで導かれたかのように、野茂は優勝マジック1の試合に登板し、そして勝った。
自らの力で、最高の“結末”を引き寄せたとしか思えないような復活劇だった。
そしてドジャースはプレーオフを迎えることになる。
<つづく>