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菅野智之、日本ハム1位指名拒否の裏に母の壮絶な覚悟 「どんなに大変なことが起きても…」
posted2020/10/19 17:02
text by
鷲田康Yasushi Washida
photograph by
KYODO
まるで世界を敵に回したようだった。
2011年10月27日。東京・港区のグランドプリンスホテル新高輪で行われたドラフト会議。ロッテから始まった各球団の1位指名はいきなり東洋大の藤岡貴裕投手にロッテ、横浜、楽天の3チームが競合する波乱のスタートだったが、その後は順調に指名が進んでいった。
そうして回ってきた8番目の巨人が指名したのは、東海大の菅野智之投手だった。
原辰徳監督を伯父に持つ菅野は、巨人一本の希望を語り、事前に接触した他球団には指名をしないで欲しい旨を伝えていた。その意思の固さに1位候補としてきたほとんどの球団が指名を回避し、他の選手へと回っていった。おそらく巨人の一本釣りが濃厚と言われ、その予想通りに指名は淡々と進んでいくかに見えた。
その中で予定通りに巨人が菅野を指名したこの時点では、まだ会場は凪いだ状態だった。
世論を圧倒したのは、菅野は日ハムに行くべきという論調
ところが、である。
巨人の指名が終わった次の9球団目が日本ハムだったのだ。
「第1回選択希望選手、北海道日本ハム……菅野……」
名前が全て読み上げられる前に会場には「ウワーッ」という驚きの声と何とも言えぬ拍手が湧き起こった。
そして抽選で日本ハムが当たりくじを引き当てると、会場はそれを期待していたような大歓声に包まれ、ガッツポーズをする日本ハムファンの姿がテレビでも大きく映し出された。
そこから世論を二分する……いや、世論を8対2か9対1で圧倒したのは、菅野は日本ハムに行くべきだという論調だった。