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2006年W杯の敗因“ジーコジャパンの不仲説”は真実か? 中田浩二の証言「オーストラリアには勝てるという空気が…」「単純に力がなかった」
posted2024/02/01 11:04
text by
寺野典子Noriko Terano
photograph by
Naoya Sanuki/JMPA
2002年の日韓ワールドカップ、規律や戦術を重んじたフィリップ・トルシエのもとで決勝トーナメント進出を果たしたサッカー日本代表。新たな代表監督にはジーコが就任し、大きな期待感のなかで2006年のドイツ大会へと臨んだ。しかし、初戦のオーストラリア戦で逆転負けを喫し、グループリーグで敗退。あのとき、日本代表に何が起きていたのか。代表の中核を担った「黄金世代」の一員である中田浩二が、当時の実状を語った。(全3回の2回目/#1、#3へ)
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黄金世代の海外移籍が刺激に
――日韓ワールドカップはラウンド16のトルコ戦で敗退。中田さん自身にとってどんな大会でしたか。
「試合に出られたから手応えはありました。でも、(トルコ戦で)自分のミスから相手にコーナーキックを与えて、失点して負けたわけだから、その悔しさしか残っていなかった。2006年のドイツ大会まで、ただ必死に目の前のことに取り組めば成長できると思っていたわけでもない。鹿島ではポジションを手に出来ていましたが、さらなる刺激が必要だと考えてもいました」
――2002年を機に、海外に移籍する選手も増えていきました。中田さんも2005年、トルシエが指揮をとるマルセイユ(フランス)に移籍します。
「僕自身、子どものころから海外でプレーしたいとは考えていなかった。でも、日本代表として、海外の選手と対戦するなかで、『自分もあっちでプレーしないと戦えない』と考えるようになった。(小野)伸二、タカ(高原直泰)、イナ(稲本潤一)がヨーロッパでプレーしているのだから、僕も負けられないという気持ちは強かったですね」
――やはり小野さんをはじめとした黄金世代の存在が刺激に?
「思えば、最初は自分と伸二を比べるようなことは一切なかったですね。ただ憧れて、『すごい選手だな』というだけ。でも、対戦したり、一緒にプレーするなかで、彼らに負けていられない、と。どうすれば追いつけるのかを考えたし、自信も芽生えてきた。そういう過程を考えると、彼らの存在が僕を成長させてくれたんだと思います」