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小野伸二16歳の衝撃「頭の後ろに目があるんじゃ…」中田浩二がいま明かす“天才に出会った日”「同じ年齢のヤツにここまでやられるのか」

posted2024/02/01 11:03

 
小野伸二16歳の衝撃「頭の後ろに目があるんじゃ…」中田浩二がいま明かす“天才に出会った日”「同じ年齢のヤツにここまでやられるのか」<Number Web> photograph by AFLO

2002年日韓W杯で決勝トーナメント進出を決め、喜びを分かち合う中田浩二と小野伸二。2人の出会いは1996年夏のインターハイ決勝だった

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寺野典子

寺野典子Noriko Terano

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AFLO

「いくつだと思う? 44(歳)だよ。みんなよくやったよ」――小野伸二、高原直泰、南雄太、本山雅志……。同い年の選手たちが現役引退を発表した2023年。「寂しくはないか?」という問いを吹き飛ばすように、中田浩二は答えた。取材後の2024年1月には、同学年の遠藤保仁も引退を表明した。 

 小野を中心に1999年のワールドユース(現U-20 ワールドカップ)で準優勝を果たし、「黄金世代」と呼ばれた彼らは、2002年の日韓ワールドカップで決勝トーナメント進出という史上初の快挙を成し遂げることになる。個性豊かな才能が揃い、欧州移籍のロールモデルにもなった黄金世代は、なぜ生まれたのか? 当事者のひとりである中田の言葉で振り返る。(全3回の1回目/#2#3へ)

◆◆◆

「トイレまでついていけ!」小野伸二をマンマーク

――中田さんが小野伸二さんの存在を知ったのはいつでしたか?

「名前を知ったのは中学時代でしたね。サッカー専門誌に飛び級でU-16日本代表に選出された13歳として紹介されていたんです。当時の僕は鳥取の強豪でもない中学校でサッカーをやっていたから、『へぇ、そういう選手がいるのか』という程度で、遠い世界の話のような感覚でしたけど」

――その後、中田さんは強豪校である東京の帝京高校へ進学します。小野さんは静岡の清水商業へ。実際にプレーを見る機会もあったんじゃないですか?

「そうですね。でも、1年のころは僕がレギュラーじゃなかったし、伸二もあまりチームにいなかった記憶がある。対戦したのは、2年のインターハイの決勝戦でした」

――1996年大会ですね。清水商業が3対1で勝利しました。

「僕は中盤で、伸二をマンツーマンでマークしろという指示を受けていたんです」

――当時、小野伸二対策として「トイレまでついていく気持ちでマークしろ」と指示されたという逸話を聞いたことがあります。

「僕もそれくらいの気持ちで試合に挑みましたよ。準決勝では桐光学園と対戦して、(1学年上の)中村俊輔をマンツーマンでマークしたんです。俊輔も伸二も高校生のなかでは、別格だった。僕自身もまだまだ未熟だったし、ただついていくだけで精一杯でした。巧い選手だけど、ふたりはタイプも違うし、苦労しましたね」

【次ページ】 小野伸二16歳の衝撃「頭の後ろに目があるんじゃ…」

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