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ダルビッシュに憧れた少年はなぜ東大からプロを目指すのか? 東大野球部エース井澤駿介「浪人期間は一回も遊ばず…1日12時間勉強してました」
text by
文藝春秋・編BUNGEISHUNJU
photograph byTakao Fujita
posted2023/04/12 17:00
東大野球部のエースとして活躍し今春からNTT西日本でプレーする井澤駿介。社会人野球からプロへの道を目指している
井澤 はい。3つ上と6つ上に兄がいて。幼稚園の年中とか年小ぐらいから、お兄ちゃんの野球を見に行ったりとか、そこで野球に触れて......という感じですか。
ーー北海道ですから、日本ハムファイターズのファンですか?
井澤 そうです。ちょうど僕、2000年生まれで、2004年にファイターズが北海道にきました。最初の優勝が2006年。新庄、森本ヒチョリ、稲葉さんとか。
ーーWBCは?
井澤 リアルタイムではないですけど、ダルビッシュ投手が好きだったので、見てはいたかな。
ーーまわりに野球をやる子は多かったんですか。
井澤 いや、あんまり......。札幌だったんですけど、ちょっと外れたところだったんで、生徒数も少なくて。まわりは野球とかサッカーじゃなくて、校庭で遊ぶ程度でした。
ーー北海道の冬って、野球はできないですよね。野球への思いが強かったんじゃないですか。
井澤 物心ついた頃には、野球が好きでした。親に何回も連れていかれているうちに自然と「自分もやってみたい」と、地元の少年野球チームに入って、ちょっとずつ、できるようになって。
ーー東大野球部の4年生がブログに書いていた『僕の野球人生』のエッセイを読んでいると、そのときにキャプテンをやって、うまくいかなかったそうですね。
井澤 小学生のときは同期が1人しかいないんで、僕がキャプテンをやりました。強くないのもあって、うまくいかなくて。
ーー子ども心にも、自分はキャプテンタイプだろうかって考えるんですか。
井澤 そのときは意気揚々となったほうだと思います(笑)。中学でもキャプテンをやったんですけど、高校から、そういうのは向いてないなっていう感じで。
勉強は?「全然できてないです」
ーー高校時代は札幌南で、甲子園を目指していました。あとで六大学でも対戦するような他校の選手との交流もあったんですか。
井澤 なかったですね。僕は公立高校ですし、シニアリーグでやってたわけでもない。他校の選手と接する機会もないですし。
ーー当時、いつかプロでというイメージは?