サッカー日本代表PRESSBACK NUMBER
公立高サッカー部時代は名門に1-6大敗…伊東純也はいつ覚醒した? 父親の証言「足は速い子でしたが野菜嫌いで…まさか日本代表になるとは」
text by
栗原正夫Masao Kurihara
photograph byGetty Images/父・利也さん提供(左)
posted2022/04/20 12:08
カタールW杯最終予選で4試合連続ゴール…救世主となった伊東純也(29歳)のルーツとは? 左は小学校時代、小1のときに地元のチームでサッカーを始めたという
「Jリーグの甲府に入った頃、最初は1試合フルに戦えるとは思っていなかったですし、(16年に)リオ五輪代表候補に選ばれたときもスタメンではなく上には上がいて、Jリーグ止まりかなと思っていました。それが、日本代表に入って最近は救世主なんて言われ方をして、こうやって私のところにまで取材の連絡が来るなんて(苦笑)。これで結果を出せなくなったら何を言われるのか……。親としては楽しさ半分、怖さ半分な気持ちで見ています」
2016年6月29日、長野県松本市の松本平広域公園総合球技場アルウィンで行われたU-23日本代表対U-23南アフリカ代表の一戦。その試合は、リオ五輪を約1カ月後に控えたなか手倉森誠監督率いる五輪代表チームの国内最後のテストマッチだったが、利也さんにとっては遥々松本まで出かけ、久しぶりに会場で見た息子の試合だった。
日本は4-1で勝利し、伊東は2点リードで迎えたハーフタイムに野津田岳人との交代でピッチに立った。ただ、思うようなアピールはできずに、伊東は大きなニュースになることもなくリオ五輪の最終メンバーから外れる。
「実家から近かったし…」神奈川大に進学
2011年、逗葉高を卒業した伊東は、当時関東大学1部リーグに所属していた神奈川大学に進学した。その理由は「実家から近かったし、関東1部だったから」(伊東)とのことだが、大学関係者からは10年夏の練習会に参加した高3のときのイメージが強烈だったと聞こえてくる。
「練習参加しに来たときに一目見てモノが違うのはわかりましたし、将来プロになれるだろうと想像するのは簡単でした。もちろん日本代表に入って、ここまで活躍するとまでは思っていなかったですけど……(苦笑)」
こう話す神奈川大の大森酉三郎監督(2004~10年、19年~現在)は高校時代に目立った活躍をしていなかった伊東に対し、なぜそこまでの可能性を感じたのか。その理由は、当時大森が大学選抜でコーチや総務などを務め、ユニバーシアードなどの国際大会に帯同していたことと関係している。09年7月、セルビアでのユニバーシアードで日本は3位に入賞しているが、そのときにFWとしてゴールを量産していたのが福岡大の快足FW永井謙佑(現FC東京)で、同大会で7ゴールを挙げて得点王になっている。
「大学選抜のコーチとして、何度も欧州遠征に行きました。当時はFWに永井や小林悠(拓殖大、現川崎)らがいたのですが、たとえばイタリアやオーストラリアのプロと試合をしても永井のスピードは武器になり、相手DFをぶっちぎってゴールを決めてしまうわけです。僕にはそのイメージが残っていて、伊東が練習に来たときにイケると思ったんです」
グラウンド脇で注意「ちゃんとやらないと」「すみません…」
大森は神奈川大の人工芝のグラウンドで果敢にボールを追う高3の伊東を見て、永井を想起したというわけである。ただし、伊東自身は将来プロへ行く希望を持っていたものの、それはまだまだ現実味のあるものではなかった。精神的な甘さや緩さが目立っていたのだ。実際に練習参加で高評価を得た伊東だが、冬の実技試験(入試)となるゲーム形式の選抜テストに参加した際に、こんなことがあったという。