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公立高サッカー部時代は名門に1-6大敗…伊東純也はいつ覚醒した? 父親の証言「足は速い子でしたが野菜嫌いで…まさか日本代表になるとは」
text by
栗原正夫Masao Kurihara
photograph byGetty Images/父・利也さん提供(左)
posted2022/04/20 12:08
カタールW杯最終予選で4試合連続ゴール…救世主となった伊東純也(29歳)のルーツとは? 左は小学校時代、小1のときに地元のチームでサッカーを始めたという
中学に上がる際に横浜F・マリノスのジュニアユースへ進む可能性もあったが、セレクションは不合格。中学3年間は地元のクラブチーム「横須賀シーガルズ」でプレーし、高校も県内の強豪校ではなく通学圏内だった公立の逗葉高校に進んだ。
公立校サッカー部時代「1-6の大敗」が運命を変える
全国的に見て逗葉高サッカー部のレベルが著しく低かったかといえば、そんなことはない。ただ、実力校の多い神奈川県内において決して強豪とは呼べない学校で、伊東は高校時代を過ごしている。
高校の同級生には、マリノスユースに所属していた小野裕二(現サガン鳥栖)がおり、小野は高3時にユースに所属しながら、すでにJリーグにデビューしリーグ17試合に出場していた。だが、当時の伊東は「『すげぇな』とは思いましたが、差があり過ぎて悔しさとかはなかったですね」と振り返っている。
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高3時の逗葉高の成績を見れば、インターハイは県予選準々決勝で名門・桐光学園に1-6の大敗、全国高校選手権では神奈川県ベスト32で敗退している。ただ、利也さんはインターハイ予選の桐光学園戦で挙げた1点が、いまの伊東につながる大事なゴールになったと付け加える。
「試合は大敗でしたが、純也はボールを持ってドリブルで相手選手3、4人をかわしてシュートを決めました。そのゴールがたまたま桐光学園の選手を見に来ていたスカウトの方の目に留まったようで、いくつかの大学から誘いを受けたようです。
私も純也のおかげで長いこと少年サッカーのコーチをさせてもらっていますが、いくら身体能力が高かったりサッカーが上手だったりしても、プロで活躍する子はなかなか出てきません。そういう意味で、よく運も実力のうちと言いますが、純也には運があったのかもしれません」
父親「Jリーグ止まりかなと思っていました」
それでも、最終予選での伊東のブレイクには利也さんもただただ驚いているという。