Column from Holland & Other CountriesBACK NUMBER
オランダの老将の贈り物。
text by
木崎伸也Shinya Kizaki
photograph byPICS UNITED/AFLO
posted2006/04/12 00:00
W杯でスタジアムを特別な雰囲気で包んでくれそうなチームがある。人口わずか130万人のカリブ海の小国、トリニダード・トバゴだ。
トリニダード・トバゴにセミプロ・リーグができたのは、1995年のことだった。その4年後にはリーグは完全にプロ化され、カリブ海中から選手が集まってきた。
リーグは大成功する。その理由は、サッカーのレベルが上がっただけでなく、スタジアムで人気バンドによるカリプソ(カリブ海を代表するトリニダード・トバゴ発祥の音楽)のコンサートを同時に行ったからだった。スタジアムはカーニバルのようになり、ファンが殺到。<サッカー>+<音楽>という新しいサッカー文化が生まれた。
トリニダード・トバゴのサッカー協会は、ぜひこの熱気をドイツW杯に持って行きたいと考え、同国出身のFIFA副会長ジャック・ワルナーのコネをつかって、音楽隊全員分のチケットを手に入れることに成功した。すでにカリプソのバンド隊はW杯に向けて猛練習中。ドイツのスタジアムが、即席のコンサート会場になる。
それにしても、今まではサッカーとは無縁だったカリブ海の小国が、なぜW杯に出場できたのだろうか? その一番の理由は、オランダきっての名将レオ・ベンハッカー監督の存在だ。
北中米・カリブ海地区予選の最終ラウンドで、トリニダード・トバゴは初めの3試合で勝ち点1しかあげられず、最下位に低迷してしまった。協会はセント・クレアー監督を解任し、当時62歳のベンハッカーを招聘したのである。
ベンハッカーは、飲んだくれの問題児ヨーク(元マンチェスターU)に規律を与え、37歳の大ベテラン、ラタピー(元グラスゴー・レンジャース)を代表復帰させ、さらにトリニダード・トバゴ人の母親を持つイングランド生まれのビルチャールを口説いて代表入りさせるなど、次々に改革を行った。
当然、戦術はオランダ流だった。ベンハッカーは言う。
「私が来る前まで、チームは守備的なリアクション・サッカーをしていた。そんなサッカーでは勝てない。常に自分たちが主導権を握る、攻撃的なサッカーをやらせた。オランダ流の戦術と、彼らの高い身体能力がマッチした。だからプレーオフでバーレーンに勝利し、W杯に出場することができたんだ」
ベンハッカーは'80年代後半、レアル・マドリーを3年連続でリーグ優勝に導き、1990年W杯ではオランダ代表を率いた。もうとっくに定年退職してもいい年だが、「この年になると、“ミッション・インポッシブル”に挑戦したくなるんだよ」と、情熱を燃やし続けている。
私はW杯チケットの1次販売が始まったとき、ただ売り切れてないという理由だけで、トリニダード・トバゴのTSTチケットを申し込み、約30万円がカードから引き落とされた。その直後は後悔したが、トリニダード・トバゴが最下位から怒涛の追い込みを見せてW杯出場を決め、さらにカリプソの音楽隊が送り込まれることを知り、かなり運が良かったのではないかと思い始めている。
「サッカー+音楽 in W杯」。オランダ人の老将のおかげで、ドイツW杯の楽しみがひとつ増えた。