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阪神で「小林繁さんは孤独だった」正捕手・若菜嘉晴が語る“わずか30歳で引退”の原因とは「野球というより、人生に疲れていたんじゃないか」 

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元永知宏

元永知宏Tomohiro Motonaga

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photograph bySankei Shimbun

posted2026/08/17 11:03

阪神で「小林繁さんは孤独だった」正捕手・若菜嘉晴が語る“わずか30歳で引退”の原因とは「野球というより、人生に疲れていたんじゃないか」<Number Web> photograph by Sankei Shimbun

小林繁は1983年、わずか30歳で現役引退した。ラストイヤーにも13勝を挙げていた小林の胸中を若菜嘉晴はどう見るのか

 小林は実績を残し続けたことで、チームの中でアンタッチャブルな存在になっていたのかもしれない。

「1982年は、バッテリーを組むことが減ったんです。小林さんの衰えは特に感じなかったですね。グラウンドの外で、小林さんと一緒に行動することも少なくなって、私生活は見えなくなりました。

 プロ野球選手なんて、いい時にはみんなが寄ってくるけど、大事なのは引退したあとに残っている人が何人いるかだと思う」

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 引退した江本は1982年からプロ野球解説者になり、『プロ野球を10倍楽しく見る方法』という著書がベストセラーになった。若菜はこの1982年限りで阪神を退団し、ニューヨーク・メッツ傘下、3Aのタイドウォーター・タイズでプレーするためにアメリカに渡った。

小林さんは人生に疲れていたんじゃないか

 小林は1983年に35試合に登板し209回を投げて13勝14敗1セーブを挙げたが、防御率は4.05だった。

 シーズン後の10月29日、大阪・梅田の球団事務所で引退会見が行われた。

「球団の慰留はありがたいことだと思っています。でも、肉体的に、技術的にボクはもうマウンドに立てないんです。それならユニフォームを脱いで新しい人生を歩みたい」(産経新聞)

 その時、30歳。涙はなかった。

 小林が引退を決めた時、阪神から離れていた若菜にその姿はどう映っていたのか。

「彼の場合は、野球というよりも人生に疲れていたんじゃないですか。グラウンドでも外でも、本当に守ってくれる人がいなかったから」

 引退会見の当日、10月29日から、セ・リーグ王者の巨人とパ・リーグ連覇を果たした西武ライオンズによる日本シリーズが行われた。

 小林に代わって巨人に入った江川は第1戦に登板したが、2回で6点を奪われて敗戦投手になった。若菜たちとの4対2トレードで西武に入った田淵は4番に座り、江川からスリーランホームランを放っている。日本シリーズは第7戦までもつれて、西武が4勝3敗で2年連続の日本一に輝いた。

〈つづく〉

#16に続く
「小林繁さんが『40万円くらいでガタガタ言うな!』と」若菜嘉晴が阪神で学んだ“人生勉強”「小林さんの人生はネトフリでドラマにできますよ」
この連載の一覧を見る(#1〜30)
#30
準決勝で「送りバントのサインに知らんぷりして」あの池田に敗れるも…浪商・牛島和彦が甲子園に感じていた“使命”「それでも、責任は果たしたぞと」
#29
「痛み止め注射6カ所に、さらしを巻いて」疲労困憊で大阪王者・PL学園を破り甲子園へ…浪商・牛島和彦が投げ抜いた方法「投手は自分だけだから」
#28
「敬遠しろ」指示に「黙って見とけ!」伝説の箕島戦でセンバツ史上唯一の大記録を食らった“あのエース”は「えっ、僕だけなの? これから自慢しよう(笑)」
#27
先輩の“かわいがり”に「そんなら、一生懸命投げへんけど」反骨エース・牛島和彦が大阪の名門校に進んだワケは「V9巨人の大物に直々に誘われて」
#26
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#25
「金沢の町から人がいなくなった」“高校野球史上最高の試合”死闘の結末で何が起きたか…星稜の名将は「自分の器の小ささがよくわかりました」
#24
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#23
「部員8人で甲子園? とバカにされて」山下智茂が名門・星稜を築きあげるまで「生徒にトイレへ呼び出されて、スパルタの仕返しかと覚悟したら…」
#22
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#21
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#20
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#19
「小さな町で、近所の子どもが集まったような野球部」箕島はなぜ70年代屈指の強豪校になったか「尾藤公さんが監督になってすべてが始まった」
#18
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#17
甲子園「史上最強の公立高」箕島はいかに1979年“春夏連覇”を成し遂げたか…前年「せいぜいC評価」からの成長のワケをエースが語る
#16
「小林繁さんが『40万円くらいでガタガタ言うな!』と」若菜嘉晴が阪神で学んだ“人生勉強”「小林さんの人生はネトフリでドラマにできますよ」
#15
阪神で「小林繁さんは孤独だった」正捕手・若菜嘉晴が語る“わずか30歳で引退”の原因とは「野球というより、人生に疲れていたんじゃないか」
#14
江川卓対小林繁は「1年目なら違う結果だった」若菜嘉晴が思い起こす“因縁の対決”と阪神での成長「江本孟紀さんはノーサインで投げてきて…」
#13
「小林繁さんはモテますよ。本当に卑怯だなと(笑)」女房役・若菜嘉晴が見た阪神“小林フィーバー”の日々「仲間も小林に勝たせたい、と奮起して」
#12
「年俸が安くて、オフにはバイトしていた」若手捕手が大選手・田淵幸一と交換で阪神入り…「ビール瓶が飛ぶ球場」から甲子園で受けた衝撃
#11
「阪神には歴史はあっても伝統がない」故・小林繁が生前に語った“巨人-阪神論”とは「この球団では勝てない。だから僕は引退した」
#10
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#9
「あのとき、江川さんは初めて努力をしたんじゃないか」永遠のライバル・西本聖が語る“地獄の伊東キャンプ”「最後も巨人で…感謝しています」
#8
「勝手をするな!」「ダメになったら責任取ってくれるんですか」西本聖が球界初の“独自調整”を貫いたワケと、伝説の「足上げフォーム」誕生秘話
#7
「ニシ、19勝じゃダメだ。20勝すれば世界が変わる」西本聖を甦らせた江川卓の言葉の真意とは?「俺はやったぞ、お前はできるのか、と…」
#6
「江川さん、キャッチボールしましょうか」孤独な江川卓に声をかけた西本聖…永遠のライバルの本当の関係性とは「誘いあってゴルフにも行った」
#5
「自分の中で、ライバルは江川卓と決めました」非エリート・西本聖の“永遠のライバル”が入団した日…「僕もトレード候補だった、と聞いた」
#4
江川卓の初勝利をサポートも「礼を言われた記憶はないなあ」新浦壽夫が見た“江川−小林繁トレード”のすべて「二人とも愚痴は言わず…立派だったよ」
#3
「江川卓をエースにする」長嶋茂雄監督の苦難の時代を支えた左腕・新浦壽夫はなぜ江川のサポートに?「長嶋さんの“巨人のエース”のイメージは…」
#2
「エースを作るから、江川卓のケツについてくれ」長嶋茂雄監督の命令に呆然…当事者が振り返る江川トレード事件「俺がエースじゃないのかよ!?」
#1
1979年「実は僕も江川卓のトレード候補だった」“空白の一日”を巨人の左腕エースはどう見ていたのか「江川本人が気づくわけないんだから」

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