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阪神で「小林繁さんは孤独だった」正捕手・若菜嘉晴が語る“わずか30歳で引退”の原因とは「野球というより、人生に疲れていたんじゃないか」
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元永知宏Tomohiro Motonaga
photograph bySankei Shimbun
posted2026/08/17 11:03
小林繁は1983年、わずか30歳で現役引退した。ラストイヤーにも13勝を挙げていた小林の胸中を若菜嘉晴はどう見るのか
「移籍してから小林さんの近くにいた人間が、次々にいなくなったじゃないですか。川藤幸三さんとは仲良くしていたみたいだけど、孤独だったことは間違いありません。仲間がひとりずついなくなるという寂しさを感じていたんでしょうね」
歴史をさかのぼれば、優勝争いのさなか、阪神のエースだった江夏豊が球団社長から「勝ってくれるな」と言われたこともあった。優勝すれば選手の年俸を上げざるをえない。だから「2位でいい」と。そういう球団の体質への失望もあっただろう。
指揮官はドン・ブレイザーから中西太、安藤統男へと次々に代わった。小林にとって古巣である巨人は、長嶋茂雄の後任の藤田元司が立て直しに成功していた。
小林さんの心には常に巨人があった
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小林が阪神に在籍した5年間で1156イニング以上を投げて77勝をマークしても、チームの最高順位は3位。いくら勝っても、身を粉にして投げても優勝は遠かった。
「小林さんからすれば、阪神に対して、チームとしての限界を感じたところはあったと思う。あれだけ頑張っても、心が豊かにならなかったのかもしれない。心の中には常に巨人があったんじゃないかな。
阪神にも歴史はあるはあるけれど、巨人とは中身がまったく違った。たとえば、球団内で監督と選手の間で問題が起こっても、組織として統制が取れているから表面化することがないでしょ」
監督の交代劇、主力選手のスキャンダルなど、阪神では事件が次々に起こった。それを面白おかしく書き立てるスポーツ新聞……江本の「ベンチがあほやから」事件も、若菜と首脳陣との対立もそうだった。
「タイガースというチームが好きだという人はたくさんいます。組織としてはどうでしょうね」
人気球団ゆえ、選手への誘惑も多かった。
「同じプロ野球でも、お金に関することはパ・リーグとは全然違います。僕と真弓がまだクラウンライターライオンズにいる時、サイン会の謝礼は交通費込みで1万円でした。阪神に移籍したあとに、同じ会場でサインをした時には30万円ももらいました。まわりからチヤホヤされて勘違いする選手も出てきますよ」


