革命前夜~1994年の近鉄バファローズBACK NUMBER
「野茂は野球ができなくなるんじゃないか」近鉄同僚が見た野茂英雄と球団の“決裂”と“MLB移籍”「どうやって行くんだ?」「絶対無理や」
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喜瀬雅則Masanori Kise
photograph byTakahiro Kohara
posted2025/05/30 11:03

野茂が苦渋の決断で日本球界での退路を断つさまを見ていた佐野、石井、吉井、光山らは「大丈夫なのか」と固唾を飲む思いだった
絶対無理やな
「絶対無理やな、って思ってたんです。ホント、江夏(豊)さんみたいに、日本でまず引退してから挑戦するみたいな、ああいう形しかないだろうと。あの時は、そういう形しかなかったですよね?」
吉井が指摘したのは、1984年に西武で現役を引退した江夏豊が、メジャー挑戦をかけて、ミルウォーキー・ブリュワーズのスプリング・キャンプに参加した1985年のケースだった。メジャー昇格こそならなかったが、36歳でのメジャー挑戦という江夏の心意気は、まだメジャーの世界が日本では馴染みのない時代でも大いに称えられ、注目を集めた。
吉井が「ああいう形しか」と評したのは、つまり、日本で完全に「フリー」にならない限りは、アメリカでプレーすることなど不可能だろうという、ごく当然の認識でもあった。
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「(野茂のケースのような)あんな風に行こうとは思わなかった。非現実的というか考えもしなかった」
「FAで行こう」
しかし、その手段はどうであれ、後輩はメジャーへの“道”を切り開いた。それは、自らの夢も現実に変わる可能性が出てきたということと、半ばイコールでもある。
近鉄からヤクルトへ移籍した95年、吉井は10勝を挙げ、日本一にも貢献した。
「その時、1年間フルに規定投球回数(147回3分の1)を投げられて、FAまであと2年っていうのが分かったんです。だから、FAで行こうと。ホントに自分がFAの権利を取れたら“行ける”っていうのは思いました」
ヤクルトでの3年間を経て、1997年オフにFA権を行使、元千葉ロッテ監督だったボビー・バレンタインが率いるニューヨーク・メッツへ入団する。
吉井は、FA権を行使してメジャーへ移籍した初の日本人選手になった。
〈つづく〉

