革命前夜~1994年の近鉄バファローズBACK NUMBER
野茂英雄のメジャー初勝利を「抱き合って喜んだ」…野茂が去り“最下位転落”した近鉄同僚の思い「また野球をできてよかった」「すごいヤツだよな」
posted2025/05/30 11:04

野茂はドジャースでセンセーションを巻き起こし、かつての同僚たちは様々な思いを抱く。だがこの事件は単に美談で収まるものではなかった
text by

喜瀬雅則Masanori Kise
photograph by
Koji Asakura
野茂英雄がメジャーに渡って30年。彼の渡米はどうして可能になったのか? すべてがはじまった前年、1994年の近鉄バファローズの関係者を当時の番記者が再訪し、「革命前夜」を描き出す。葛藤と苦悩の果てにアメリカで躍動する野茂の姿に、かつての仲間たちが抱いた思いとは——?〈連載「革命前夜〜1994年の近鉄バファローズ」第15回/初回から読む/前回はこちら〉
野茂英雄がいなくなった95年、近鉄は借金29の最下位に沈んだ。
野茂のいない近鉄の主力たち
主砲の石井浩郎は、左手首痛と右足首剝離骨折など故障禍に見舞われた。6月8日に「362試合連続4番打者先発試合出場」という当時の日本記録を樹立したその翌日に出場選手登録を抹消されるなど、わずか47試合の出場にとどまった。
野茂の投げる日にはスタメンマスクをかぶっていた捕手の光山英和も、94年の89試合から、95年は62試合と出場試合を減らしている。
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佐野重樹(現・慈紀)は、巨人に移籍した阿波野秀幸の背番号だった「14」を引き継ぎ、不動のセットアッパーとして44試合に登板、10勝4敗6セーブとフル回転の活躍を見せたが、チームは浮上のきっかけをつかめず、監督の鈴木啓示は8月9日、途中休養を余儀なくされた。
野茂の活躍へのまなざし
一方、野茂のメジャーでの活躍ぶりに関して、今回の連載では詳しく繰り返さないが、その古巣との明暗がくっきりと分かれたとでも言おうか。日米で「トルネード旋風」が吹き荒れた1995年、かつての僚友たちは、それぞれの立場で、思い思いに、野茂の活躍に熱いまなざしを送っていた。
メジャーのストライキは、94年8月12日から、翌95年4月2日までの232日間にわたった。だから、野茂のドジャース入団会見が行われた95年2月13日は、まだストライキの真っ只中。その時点で、95年のメジャー開幕は、まだ不透明だった。