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「松井秀喜ははっきり言われていると思うよ」長嶋茂雄さん一周忌に中畑清が明かす“教えと約束”「私には、明るく、楽しい監督になりなさい、と」

posted2026/06/03 11:01

 
「松井秀喜ははっきり言われていると思うよ」長嶋茂雄さん一周忌に中畑清が明かす“教えと約束”「私には、明るく、楽しい監督になりなさい、と」<Number Web> photograph by NumberWeb

長嶋さんの一周忌にあたり、日本代表監督時代の思い出、さらに松井秀喜氏への思いまで、中畑清氏が秘話を明かした

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赤坂英一

赤坂英一Eiichi Akasaka

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 長嶋茂雄さんが昨年6月3日、89歳で世を去ってから早くも1年が経つ。ミスタープロ野球の一周忌を迎えて、かつて自他ともに認める“一番弟子”だった巨人OB中畑清氏は何を思うのか。
 少年時代からの熱烈な長嶋ファン。第1次長嶋監督時代に選手、第2次監督時代に打撃コーチとして仕え、2004年アテネ五輪の日本代表でも長嶋監督の下でヘッド兼打撃コーチを務めた。長嶋監督が脳梗塞で倒れてからは、監督の座を受け継いで銅メダルを獲得している。
 最も近くで長嶋さんと戦いをともにしてきた野球人、中畑氏が、今だから話せる逸話の数々を明かす。第2次巨人監督、アテネ五輪日本代表監督時代の内幕、さらに長嶋さんが松井秀喜氏と交わした約束の中身まで、熱く語った。〈全2回の2回目/はじめから読む

 第2次長嶋監督1年目の1993年、巨人は華々しく船出しながら、一度も首位争いに絡むことなく3位に終わった。ペナントをさらったのは長嶋さんをライバル視する野村克也監督率いるヤクルト。

 中畑氏はチーム打率がリーグワーストの2割3分8厘だった責任を取り、打撃コーチの辞任を申し出た。意外なことに、長嶋監督からは慰留の言葉ひとつなかったという。

引き留める言葉がなかったわけ

「ミスターから、引き留める言葉はなかったです。『辞めさせてください』という私の話を聞きながら、『うん、うん、そうか、そうか』とうなずいていましたね。

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 恐らく、長嶋さんは最初から、私に打撃コーチを任せるのはキツイとわかってたんでしょう。前の年に長嶋さんに呼ばれて、『バッティングをやらせてください』と私のほうからお願いしたら、長嶋さんは『バッティングで大丈夫か? 厳しいぞ』と聞いてきました。当時の私には荷が重いんじゃないかと心配されていたんですね。私が『バッティングが好きですから』と強く主張して聞き入れてもらったけど、やはり結果を出せなかった。

 打線が振るわなかった頃、私自身も体調を崩していました。毎朝、目が覚めたら天井がグルグル回ってるんです。メニエール病のような症状だったから、経験者の栗山英樹さんにどういう治療をすればいいのか教わってね。

 それで薬を呑んだらだいぶよくなったものの、もう心身ともに限界に近かった。そんな私の苦しんでる姿を長嶋さんも見てましたから、とても慰留する気にはなれなかったんでしょう。その時は結局、ナベツネさん(渡辺恒雄・当時読売新聞社社長)に引き留めていただきました」

 明くる年の1994年、巨人は中日との同率首位決戦「10.8」(10月8日、ナゴヤ球場)を制してリーグ優勝。日本シリーズでも当時のライバル西武を倒して日本一となった。

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