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「野茂は野球ができなくなるんじゃないか」近鉄同僚が見た野茂英雄と球団の“決裂”と“MLB移籍”「どうやって行くんだ?」「絶対無理や」 

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喜瀬雅則

喜瀬雅則Masanori Kise

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photograph byTakahiro Kohara

posted2025/05/30 11:03

「野茂は野球ができなくなるんじゃないか」近鉄同僚が見た野茂英雄と球団の“決裂”と“MLB移籍”「どうやって行くんだ?」「絶対無理や」<Number Web> photograph by Takahiro Kohara

野茂が苦渋の決断で日本球界での退路を断つさまを見ていた佐野、石井、吉井、光山らは「大丈夫なのか」と固唾を飲む思いだった

すごい世界がある

「自分の憧れの先輩が打たれてたんです。こりゃ、すごい世界があるんや、いつか、あそこで投げたい、って思ったんです。まだ1軍で、ほとんど投げたことのないその時に、そう思ったんです。

 あれをきっかけに、自分でも野球にしっかり取り組むようになりました。実際、1年目なんか、記憶にないくらい成績が“すっとこどっこい”で、3年目とかでも、ストライクが1球も入らんのとちゃうか、というようなピッチャーだったんで」

 いつかはきっと、メジャーのマウンドに立ってやる。

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 理想の投手像に掲げたのは、歴代最多のサイ・ヤング賞7度を獲得する「ロケット」こと、ロジャー・クレメンス。吉井は、自分で調達したクレメンスのポスターを、藤井寺のウエートトレーニング室と自宅の居間に貼り、闘争心をかき立てた。

 目標が定まれば、その歩みも力強くなる。4年目の87年にプロ初勝利を含む2勝を挙げて台頭すると、翌88年には名将・仰木彬、投手の分業制を確立させた投手コーチ・権藤博のもと、その強気な性格を買われてストッパーに抜擢される。10勝24セーブで最優秀救援投手賞のタイトルを獲得し、89年のリーグ優勝にも5勝20セーブで貢献するなど、まさしく「近鉄に吉井あり」という存在に駆け上がっていく。

メジャー挑戦など「何を言っているんだ」

「自分も、クローザーやってる頃から、球団に『メジャーに行かせてくれ』って言ってたんですけど、球団からは『アホか』で終わりやったんです」

 当時、FA権を取得してメジャーに行くという発想もなければ、ポスティング・システムもない。メジャーに行くというルートも確立されていない。そもそも、日本人のメジャー挑戦など「何を言っているんだ?」というような風潮でもあった。

 だから、野茂がメジャーに行くという噂が広まった時にも、吉井にはまず、懐疑的な思いの方が、先に立ったのだという。

【次ページ】 絶対無理やな

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