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「元アナウンサーと婚約した」誤報も…長嶋茂雄&王貞治「婚約スクープ合戦」“ネットのない時代”のやりすぎ感「新聞記者はここまでやった」
posted2024/03/09 11:02
text by
近藤正高Masataka Kondo
photograph by
KYODO
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長嶋茂雄の「婚約スクープ合戦」
戦後、人気スポーツとなったプロ野球のスター選手ともなればその婚約・結婚は高いニュースバリューを持つだけに、マスコミの格好の特ダネとされた。その最初のターゲットとなったのは、やはりこの人、ミスタージャイアンツこと長嶋茂雄である。1958年の巨人入団以来、毎年オフシーズンともなれば各社が取材合戦を繰り広げた。これに対し長嶋本人と球団は、婚約発表は共同記者会見で行うと約束していたという。
だが、1964年の東京オリンピック閉幕から約1カ月後の11月26日、読売グループのスポーツ紙である報知新聞が、長嶋選手は五輪コンパニオンだった西村亜希子さんと婚約したとスクープする。この日の朝、他社の記者たちは報知のスクープに驚愕し、約束が違うと一斉に巨人の球団事務所に殺到した。当の長嶋は行方をくらまし、球団側もどこにいるか知らなかった。ようやく昼すぎに電話で連絡がつき、長嶋が単独で会見を開くことになるも、ほかのスポーツ新聞や芸能雑誌の記者たちは納得せず「二人そろって初めて婚約発表ではないか」と主張。すったもんだのあげく、午後7時から東京・紀尾井町のホテルニューオータニで二人そろって婚約会見が行われるにいたる。
長嶋の自伝によれば、婚約発表前夜、彼女と別々のホテルにカンヅメとなり、外部との接触も許されなかったという。どうやら報知側が事前に情報が漏れないようそうしたらしい。翌朝、スクープ記事が出てから、長嶋が別の新聞から夕刊にコメントを求められていると頼んでも、そばについた記者は黙ったまま返事をしてくれず、結局、10分間だけ灯りを消したトイレに入って見ないふりをしてもらい、コメントを寄せたという。《「マスコミのきびしさもプロ野球もいっしょなんだなあ」と、ヘンなところで感心したものだ》とのちに長嶋は述懐している(長嶋茂雄『燃えた、打った、走った!』日本図書センター、1997年)。
夫人との出会い「報知はマークしていた」
そもそも、亜希子夫人との出会いも、報知が東京五輪開催中の10月17日に企画した、長嶋と同じく巨人の主砲だった王貞治とコンパニオン5人による座談会の席上においてであった。
スクープ後、報知新聞の第一運動部長がある週刊誌の取材に対し自慢げに語ったところによれば、座談会には、長嶋がこの機会にひょっとすると……との期待もあって、五輪記者だけでなく巨人担当の記者をつけていたという(『サンデー毎日』1964年12月13日号)。