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「元アナウンサーと婚約した」誤報も…長嶋茂雄&王貞治「婚約スクープ合戦」“ネットのない時代”のやりすぎ感「新聞記者はここまでやった」
text by
近藤正高Masataka Kondo
photograph byKYODO
posted2024/03/09 11:02
1965年1月26日、結婚式を終え、記者団の質問に答える長嶋茂雄と亜希子さん(東京千代田区紀尾井町のホテルニューオータニ)
はたして座談会のあと、長嶋が亜希子さんのことを「あの人はすばらしい」と漏らした。同紙はこれを聞き逃さず、その日から二人をマークし始める。彼女が長嶋の遠征先の九州に呼ばれたとの情報をひそかにキャッチすると、すぐさま現地に記者が飛んだ。スクープ記事には別府での彼女の写真が使われたが、それもこのとき撮ったものだという。そのころには報知側では、すでに彼女の戸籍謄本をはじめ身元調べはできていたというから、プライバシーなどあったものではない。
共同記者会見は、報知にすっぱ抜かれた各社の記者が殺気立って二人を囲むなか始まった。緊張していたのは長嶋のほうであった。後年、このときを振り返ってミスターは《三百人の大報道陣の前で彼女が「飾り気のないところに惹かれました。スターらしくない方。一緒にいて楽しくなる方だと思います」。私はあがって、照れて火照った顔を両手で覆った》と書いている(長嶋茂雄『野球は人生そのものだ』日本経済新聞出版社、2009年)。
結婚式はそれから2カ月後、翌1965年1月26日にカトリック渋谷教会で行われた。当日は教会前にファンが集まり黒山の人だかりができ、警官が交通整理のため出動するほどであった。式の最中は取材陣をシャットアウトしたものの、そのあとで記者を入れて、式の主な場面を再現するというサービスぶりであった。同日午後には披露宴が婚約会見と同じくホテルニューオータニで、政財界や芸能界などから350人を招いて行われている。費用は総額約1000万円であったという。
「“花嫁候補”から外された女性」
長嶋に続き、スポーツ紙や週刊誌は当然のように王貞治をマークした。“花嫁候補”として何人かの女性をリストアップし、取材攻勢に明け暮れる。そのなかで、ある通信社が、王が在京ラジオ局の元アナウンサーと婚約したと当事者に確認もとらず伝え、あとで誤報とわかるという騒ぎも起こった。リストには、王がのちに結婚する恭子夫人の名前も入っていたが、彼女の母親がすでに大阪の人と縁談がまとまっており、王と結婚することは絶対にないと断言したため、いったんは候補から外されたらしい。
王の自伝『もっと遠くへ』(日本経済新聞出版、2015年)によれば、恭子夫人とはプロ1年目に知り合ったが、当初は仲のいい友達の一人にすぎなかったという。4年目の1962年に初タイトルとなる本塁打王を獲得し、実家の中華料理店で身内だけで開いた祝賀会にも彼女は出席していたものの、マスコミは妹のようなものと思い込み、とりたてて注目しなかったらしい。
王貞治が「婚約会見で発表した理由」
王が結婚を意識したのは、やはり長嶋が結婚したときだという。