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「俺んち、泊まれば?」遠藤航に密着TVディレクターは見た…リバプールで愛されるまでの“壮絶な1カ月”「ファウルしないとかあり得ない」
text by
小野晋太郎Shintaro Ono
photograph byPA Images/AFLO
posted2024/02/24 17:00
プレミアリーグで首位を走るリバプールで定位置を確保した遠藤航(31歳)。人生最大の勝負と位置付けた12月、どんな心境で戦っていたのだろうか
30歳でプレミアリーグ移籍、と聞くと、まるで遅咲きの選手紹介のようだが、遠藤がJリーグデビューを飾ったのは高校3年生の2010年9月の17歳。才能をいち早く見抜いていたのが、湘南ベルマーレで当時コーチを務めていた曺貴裁(現・京都サンガ監督)だった。横浜F・マリノスのセレクションに3年連続で落ちていた遠藤を湘南ユースに引き入れ、プロにまで育て上げた男である。
2012年には自身が湘南の監督になると同時に、まだ19歳だった遠藤をトップチームでキャプテンに任命。曺は、誰よりも遠藤の可能性を信じていた。
そんな曺監督がいつも参考にしていたのが、香川真司が所属し、欧州に旋風を巻き起こしていたドルトムントだった。「ゲーゲンプレス」と言われる強度の高いハイプレスとショートカウンター。「湘南スタイル」の目指す道筋が、そこにあった。リスクを背負いながら相手を飲み込むように戦う黄色と黒のユニフォーム。若き遠藤はミーティングで何度もその映像を見させられた。その中心に、ゴールのたびに感情を爆発させて香川を抱きあげるヒゲの指揮官がいた。
10年後――。曺監督がお手本にしたヒゲの指揮官は、世界でも指折りの名将にキャリアアップ。欧州チャンピオンズリーグで文字通り世界一の称号を手にした後、自らのサッカーを体現できる、新たな闘えるアンカーを探していた。そして、母国ドイツのリストから、ある名前を発見する。2季連続「デュエル王」の称号を得ていたシュツットガルトのキャプテン。遠藤のキャリアは始まりからここまで、まるで導かれたかのように繋がっている。
「俺んち、泊まればいいじゃないですか」
シティ戦の翌々日、ケガ人が増えたこともあり、急遽オフになった。ビザの関係で遠藤の家族はまだ日本に残っていた。連戦が控える12月に向けて生まれた束の間の休日、僕が何の予定も入れていないことを確認した遠藤からまさかの提案があった。
「せっかくこっち(イングランド)来たんだから、どっか行きたいとこあります?」
いやいや、せっかくのオフなのに……コチラが恐縮しているうちに「俺も久しぶりに行きたかったから」とロンドン行きの電車のチケットを手配してくれた。しかも、ファーストクラス。せめて、コーディネートぐらいは……と“観光客”が手間取っている間に「トミ(冨安健洋)に美味しい店あるか聞いときますね」と、段取りを済ませていた。
ここでシーンは冒頭に戻る。紹介してきたエピソードは、たっぷりとロンドンを堪能した後、日帰りでマンチェスターに帰る列車の中で遠藤から聞いた話だった。
気づけばすっかりいい時間になっている。僕のことを駅からホテルまで車で送るより、遠藤にとっては泊めてしまう方が「最適解」だったのだろう。
「今日は、俺んち、泊まればいいじゃないですか」
そういうわけで、後に遠藤航の人生が変わることになる、プレミア激動の12月の始まりをつげる最初の週に、なぜか密着取材が始まっていた――。
(#2へ続く)