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大学野球PRESSBACK NUMBER
乗客から「容赦ない罵声」も…“元プロ野球選手の車掌さん”近田怜王はなぜ京都大学野球部の指導者に?「もうプロに戻るのは無理やな、と」
text by
菊地高弘Takahiro Kikuchi
photograph byJIJI PRESS
posted2023/08/11 17:01
2022年5月、京都大学野球部監督として指揮をとる近田怜王。国内屈指の名門大学で元プロ野球選手の青年監督が誕生した経緯とは
後藤の誘いを受け、近田はJR西日本に入社する。野球部が活動する広島に移り住んだ。社会人野球では投手としてプレーしたが、「上から投げる感覚が戻らなくて」とサイドスローに転向。3年間プレーし、社会人野球の一大イベントである都市対抗野球大会にも出場した。
首脳陣からは「残ってくれ」と強い慰留を受けたが、2015年に現役引退を決めた。
「もうプロに戻るのは無理やな、と思ったのと、プロに行けるかもしれない後輩に自分の枠を与えてほしいという思いがありました」
「京大に教えにきてくれないか?」
翌年からはJR西日本の鉄道マンとして社業に専念した。猛勉強の末に車掌の資格を取り、京阪神路線で車掌として勤務した。
ラッシュ時に電車が遅れると、乗客からは容赦ない罵声を浴びせられた。今まで野球一筋だった近田にとっては、一つひとつの経験が新鮮だった。
そんな近田に転機が訪れたのは、2016年の秋である。JRの催したパーティーで、近田は同社の大先輩である長谷川勝洋の姿を見つける。長谷川は京大野球部の監督を務めた経験があり、JRの上役として広島まで講演に訪れたこともあった。
「高校野球ではダメでも、大学野球で強いチームとやれるから京大でやっていたんだ」
そう語る長谷川の話を「こんな世界もあるんやな」と近田は興味深く聞いた。挨拶に出向くと、長谷川も近田のことを覚えていてくれた。そして、近田は思いがけない提案を受ける。
「京大に教えにきてくれないか?」
将来的に野球の指導者になりたい希望を持っていた近田は、少しでも経験になればと長谷川の提案を快諾した。監督を務める青木孝守も親子以上に歳の離れた近田を歓迎してくれ、2017年1月にコーチに就任。といっても京大野球部に潤沢な予算はなく、あくまでもボランティアとしての指導だった。
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<「謎のガリ勉アナリスト」編に続く>
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