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慶大・清原正吾が語る“清原家の今”「母は涙ひとつ流さなかった」再会した父・和博の謝罪「ごめんな…」中高時代は離れた野球、当時の本音
posted2024/07/10 11:00
text by
柳川悠二Yuji Yanagawa
photograph by
Shigeki Yamamoto
慶應大野球部に所属する清原正吾(21歳、4年)。中・高時代は離れた野球をなぜ大学から再び始めたのか。なぜ「名門の4番」まで上り詰めることができたのか。父・和博氏やモデルの母、弟・勝児(慶應高)とのエピソード、そして進路まで…NumberWebのロングインタビューに応じた。【全3回の1回目/2〜3回も公開中】
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今春、慶應大の体育会野球部は東京六大学リーグの最終節で慶早戦に敗れた。試合後、明治神宮球場の外周で同窓生や一般のファンに囲まれていたのがリーグのベストナイン(一塁手)に輝いた清原正吾(4年、慶應高卒)だった。
神宮で目撃「父のTシャツ」を着た清原正吾
過去3年間でわずか1安打の記録しか残せていなかった正吾は、この春のリーグ戦で「4番・ファースト」の定位置を掴み、13試合に出場。52打席に立ち、14安打7打点の成績を残し、一躍“進路”にも注目が集まる存在となった。正吾は言う。
「これまでいろんなスポーツを経験し、それぞれの良いところを吸収して今の自分があると思います。野球を始めた頃は、清原和博の息子として常に見られることにプレッシャーはありました。ただ、大学生になってからは、注目していただくことをありがたいことだと思って、重圧と感じずに追い風に変えてプレーしていこうというマインドになりました」
帰りのバスに乗り込んでいく仲間が「KEIO」のスポーツウエアを着ているなか、サインに応じていた正吾だけは胸に「KIYO」「岸和田魂」と書かれた派手なTシャツ姿だった。毎試合、応援にかけつけていた父・和博氏(大阪府岸和田市出身)のTシャツを大事な早稲田大戦の日に着ているところに、現在の良好な父子関係が透けて見える。
父の愛称は「アパッチ」なぜ?
大物プロ野球選手の息子として生まれ、幼少期には「パパ」という言葉がうまく発音できず、正吾は「アパ、アパ」と口にしていた。そのため、清原家ではいつしか「アパッチ」が父の呼び名となっていた。