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乗客から「容赦ない罵声」も…“元プロ野球選手の車掌さん”近田怜王はなぜ京都大学野球部の指導者に?「もうプロに戻るのは無理やな、と」 

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菊地高弘

菊地高弘Takahiro Kikuchi

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posted2023/08/11 17:01

乗客から「容赦ない罵声」も…“元プロ野球選手の車掌さん”近田怜王はなぜ京都大学野球部の指導者に?「もうプロに戻るのは無理やな、と」<Number Web> photograph by JIJI PRESS

2022年5月、京都大学野球部監督として指揮をとる近田怜王。国内屈指の名門大学で元プロ野球選手の青年監督が誕生した経緯とは

「プロは我が強くて、『オレが、オレが』という選手が多い世界です。先輩を見ていても中村晃さんなんかプライベートではめちゃくちゃいい人ですけど、自分の芯があってひたすら練習していました。僕の性格上、そこまで入り込むのは無理やったなと感じます」

後輩・千賀滉大に「こういうヤツが成功するんやろうな」

 2学年下の育成選手の後輩を食事に誘ったが、待ち合わせ時間になってもその後輩は現れなかった。近田の心配をよそに、後輩は遅刻しても平然とした様子で店にやってきた。遅刻の理由を尋ねると、「やるべき練習メニューをやってから来ました」とこともなげに言う。近田は怒りよりも先に、「こういうヤツがプロで成功するんやろうな」と感心してしまった。その育成選手とは、のちにソフトバンクのエースとなり、メジャーリーガーとなる千賀滉大である。

 1軍で登板できないまま迎えたプロ4年目の夏場からは、野手に転向した。投手に見切りをつけたというよりは、「いつか指導者になった時に野手としてプレーした経験が生きるはず」という考えが強かった。同年秋に、近田はソフトバンクから戦力外通告を受けた。

 ただし、球団からは「育成選手として再契約して、野手でもう1年やってほしい」と打診されていた。千賀からは「残って一緒にやりましょうよ」と誘われたが、層の厚いソフトバンクで自分が大成するイメージが描けなかった。近田はソフトバンク退団を決断。今度は投手として12球団合同トライアウトを受験したものの、プロ球団からのオファーは届かなかった。

 そんな近田に声をかけてきた人物がいた。当時、社会人野球チーム・JR西日本で総監督を務めていた後藤寿彦である。後藤はアマチュア野球の重鎮で、かつては慶應義塾大の監督として高橋由伸(元巨人)らを指導した。その後もプロアマ混成チームとなった2001年のIBAFワールドカップ日本代表の監督を務めている。近田のことは高校野球のテレビ解説者を務めた際に知り、その後も動静を気にしてくれていたのだ。

「将来指導者になりたいなら、社会人野球を経験したらどうだ?」

【次ページ】 「京大に教えにきてくれないか?」

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