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12年戦力外→野球引退後「三ノ宮の駅員」に転身、そして…元ソフトバンク近田怜王31歳「高卒の僕が京都大学で監督をやるなんて」

posted2021/12/28 11:04

 
12年戦力外→野球引退後「三ノ宮の駅員」に転身、そして…元ソフトバンク近田怜王31歳「高卒の僕が京都大学で監督をやるなんて」<Number Web> photograph by Kotaro Tajiri

2012年に戦力外通告を受けた元ソフトバンク・近田怜王が、京都大学野球部監督に就任。その経緯を追った

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田尻耕太郎

田尻耕太郎Kotaro Tajiri

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 2008年、報徳学園からドラフト3位でソフトバンクに入団し、1軍出場がないまま12年に戦力外通告を受けた近田怜王(31歳)。そんな近田が今年11月に京都大学硬式野球部監督に就任した。出身校でもない、それも国内最高学府の西の雄でなぜ――。京大新監督の「今」を追った。(全2回の前編/後編へ)

 久しぶりの再会が待ち遠しくて、待ち合わせの場所へ早めに到着した。京都市街地の北東部、出町柳駅。すれ違う若者は京大生だろう。不肖の身が釣り合わない場所に来てしまったものだと、思わず心の中で笑ってしまった。

 約束の時間ちょうど。向こうからやってくる学生風の男性がぺこりと頭を下げてきた。京都大学野球部の新監督に就任した近田怜王だった。

<元ソフトバンク投手の近田氏が11月18日、関西学生野球リーグの京大の監督に就任した>

 その事実は既に多くのメディアで報じられているところだ。来年で創部124年を迎える伝統校であり、言わずと知れた国内最高学府の西の雄において、初となるプロ野球出身監督。注目が集まるのは至極当然である。

「高卒の僕が、まさか大学野球で、ましてや京都大学で監督をやるなんて少し前には想像すらしていませんでした」

報徳のエース左腕→ソフトバンク→社会人野球へ

 近田は報徳学園(兵庫)で1年秋からエースの座をつかみ、甲子園には春夏計3回出場した。3年生夏の大会ではベスト8に導く活躍で脚光を浴び、2008年ドラフト3位でソフトバンク入りを果たした。

 プロ野球での現役生活は4年間。その後、社会人野球で3年間現役を続けたのちにマウンドから離れる決断をした。競技引退後は社業へ。その傍らで京大のコーチを務め、昨年9月から助監督、そして監督へと昇格を果たしたのだった。

 そんな近田は現在31歳。プロ入団時から付き合いがあるから、そんな歳になったかと互いに笑い合ったが、大学野球の監督としては「まだ31歳」である。ソフトバンク時代から童顔で、チームの先輩だった杉内俊哉似とも言われていた。その雰囲気は今もあまり変わっていない。「学内を歩いてて、学生と間違えられたこともあるんですよ」と照れ笑いを浮かべた。

 改めて、近田はなぜ、何の縁もなかった京都大学の監督を31歳の若さで務めることになったのか。その経緯を辿っていく。

【次ページ】 きっかけはホームページ開設。「いつか指導者になりたい」

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