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森友哉に激怒「カチンときて個室に呼んだ」あの名キャッチャー・袴田英利が語る“ノーサインで村田兆治を受けた”激動人生「離島甲子園を引き継ぐ」
posted2023/08/05 11:01
text by
岡野誠Makoto Okano
photograph by
Hideki Sugiyama
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別れは突然だった。2012年10月6日、ロッテは2年ぶりのファーム日本一に輝いた。その2日後、宮崎のフェニックス・リーグが開幕。一軍の正捕手には里崎智也が座っていたが、来季は37歳を迎える。二軍バッテリーコーチの袴田にとって、次世代のキャッチャー育成は最優先すべき課題だった。
突然の解雇「予感は全然なかったです…」
1週間後、予期せぬ事態が起こる。球団社長と部長が宿泊先のホテルを訪れて突然、解雇を言い渡された。現役引退後すぐコーチに就任した袴田にとって、57歳で初めての戦力外通告に等しかった。
「予感は全然なかったです。その時の心境は……よく覚えてないんですよね」
ロッテは2年連続Bクラスに終わった西村徳文監督から伊東勤監督への交代に伴い、首脳陣の大幅な入れ替えを敢行した。二軍では袴田のほかにも金森栄治、上川誠二、山森雅文、成本年秀がクビを切られた。
「突然の通告でしたけど、プロの世界なので割り切らなきゃいけない。『明日帰ります』と言ったんですけど、『他のコーチが来るまでいてくれ』と頼まれました。結局、残留するコーチがすぐ宮崎入りしたので、2日後には帰れましたけどね」
来季のために遠征した宮崎で解雇を告げられる。理不尽という言葉が頭をよぎってもおかしくない。しかし、袴田は決して口には出さなかった。初めてユニフォームを脱いだ2013年、全国の離島に住む中学生が一堂に会して戦う『離島甲子園』にも参加した。村田兆治が提唱し、ライフワークとしていた大会だった。
西武コーチへ…森友哉との出会い
その秋、奇しくも伊東勤の古巣・西武から声を掛けられた。
「兆治さんの野球教室で長野にいた時、フロントから『面談したい』と電話が掛かって来ました。10月頃でしたね。当時、法政の1つ後輩の居郷(肇)が球団社長だったんですよ。たぶん、彼が呼んでくれたのだと思います」
渡辺久信監督に代わって、かつての名三塁コーチャーであり、2002年に指揮官としてチームを優勝に導いた伊原春樹が西武の監督に復帰した。袴田はチーフ兼バッテリーコーチに就任。そして同年秋のドラフト会議で西武が1位指名したのが、前年に大阪桐蔭で甲子園春夏連覇を遂げた森友哉だった。