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森友哉に激怒「カチンときて個室に呼んだ」あの名キャッチャー・袴田英利が語る“ノーサインで村田兆治を受けた”激動人生「離島甲子園を引き継ぐ」
text by
岡野誠Makoto Okano
photograph byHideki Sugiyama
posted2023/08/05 11:01
2013年ドラフトで西武に入団した森友哉。現在はオリックスでプレー
イヤな役割も「誰かが引き受けなければ…」
中村剛也が本塁打と打点の二冠王に輝き、秋山翔吾がNPB史上最多の216安打を放ちながら、チームは2年連続Bクラスに終わり、袴田は西武との契約を終えた。
「浅村(栄斗)と秋山が先頭に立って、本当によくやってくれました。栗山(巧)も背中で引っ張ってくれた。良い選手がたくさんいたから、もう少し勝てたと思うんですけどね。本当はあと1年残りたかったですけど、外様で結果を出せなかったから仕方ないですね」
現役時代は村田兆治のボールをノーサインで受け止め、コーチになれば中間管理職として嫌な役目を一手に引き受けた。袴田の野球人生は、損な役回りばかりを引き受けているように見える。精神的に参ることはなかったのか。
「いや、それはないですね。チーム内で誰かがその役割を引き受けなければならない。同じようなタイプの人間ばかりだと勝てないですから」
あふれ出た村田兆治への思い
取材中、袴田はどんな質問にも同じトーンで淡々と答えた。日本一達成の喜びも、突然の解雇の悲しみも言葉数はほとんど変わらなかった。一喜一憂せず、現実をありのまま受け止めてきたからこそ、37年間もプロ野球の世界で生き残れたのだろう。そんな袴田も村田兆治の死について聞くと、感情があふれ出た。
「未だに信じられないというか……。家族葬にも呼んで頂きました。顔を見た時、声を掛けたら返事してくれるんじゃないかって。ずっと元気でしたからね。昨年『離島甲子園』でキャッチボールをした時も、すぐに50メートルくらい離れた。72歳ですよ。僕はもうついていけないので、他の人に代わってもらいました。村田さんは『子供たちに手本になるような姿を見せなきゃいけない』と常に言っていて、身体を作っていましたからね。僕らもある程度の状態にしていかないと『ちゃんと動け』って怒られました。兆治さんの遺志を受け継いで、これからも『離島甲子園』を続けていきたい」
いくら耳を澄ましても、村田兆治の声はもう聞こえない。墓前で手を合わせても、何を考えているのかは想像するしかない。しかし、思い返してみれば、現役時代も同じような状況でマウンドからいきなり剛球を投げ込んできた。だから、袴田なら受け止められる。天国からのノーサインを――。