プロ野球PRESSBACK NUMBER
「乱闘怖くなかった。張本勲さんがいたから」大物揃いのロッテ入団…伝説的キャッチャーが明かす“サイン全球無視される”事件「え…?なんで?」
posted2023/08/04 11:03
text by
岡野誠Makoto Okano
photograph by
JIJI PRESS
◆◆◆
プロの世界には、必ず“異端児”がいる。その言動を理解する者がいればチームは活性化して上向く。受け止める者が存在しなければ、単に危険分子扱いされ、組織は停滞していく。
野村克也と同じチームに入団
昭和のロッテは一癖も二癖もある大物揃いのチームだった。法政大学で怪物・江川卓とバッテリーを組んだ袴田は運命に導かれるように1977年秋のドラフトで、そのロッテから1位指名を受けた。
「当日、渋谷に遊びに行っていたんですよ。松下電器に行く予定でしたし、事前にロッテからの話もなかった。街角でテレビを見たら自分の名前があったので、慌ててマネージャーに電話したら『取材があるからすぐに合宿所に帰って来てくれ』と」
静岡・自動車工業高校3年の73年秋もロッテから3位指名を受けていたが、進学を選んだ。ロッテは優勝した70年秋のドラフトでも9名中6名に入団拒否をされるほどの不人気球団だった。
「別にロッテが嫌なのではなく、どうしても六大学でプレーしたいので断りました。それでも、普通は2度も指名しないですよね。縁があるんだろうなと思い、入団を決めました」
1位指名される5日前、野村克也が金田正一監督同席のもとロッテへの移籍会見を開いていた。南海の選手兼任監督を解任された男は〈優勝のために力になりたい。自主トレ初日から参加する〉(スポーツニッポン/77年11月18日)と意気込んだ。
「存在感が凄くて、新人の僕が話を聞きに行けるような雰囲気じゃなかったですね。学生時代から交流のあった水島新司先生が野村さんと親しかったので、『教えてあげてくれ』と伝えてくれていたそうです。でも、近付けなかった」