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森友哉に激怒「カチンときて個室に呼んだ」あの名キャッチャー・袴田英利が語る“ノーサインで村田兆治を受けた”激動人生「離島甲子園を引き継ぐ」
text by
岡野誠Makoto Okano
photograph byHideki Sugiyama
posted2023/08/05 11:01
2013年ドラフトで西武に入団した森友哉。現在はオリックスでプレー
「バッティングはすぐに一軍で使える素材でした。ただ、守りのレベルはまだまだだったので、伊原さんが『ファームで1年間勉強させよう』と決めました」
伊原監督は茶髪、ひげを禁止し、ユニホームのズボン裾の長さまで指定した。だが、昭和の管理野球を彷彿させる規制は時代に合わなかった。開幕3連敗でスタートした西武は最下位に低迷。6月4日に伊原監督の無期限休養が発表され、打撃コーチの田邊徳雄が監督代行を務めた。この時、チーフコーチの袴田が監督に昇格してもおかしくなかった。
「いや、そんな器じゃないですよ。体制が変わったので、オールスター後に友哉を一軍に上げました」
森友哉に激怒した日
“大型捕手”として期待された森は7月30日のオリックス戦でプロ初打席初安打を放つと、2日後には「7番・捕手」で先発出場。8月には江島巧以来となる46年ぶりの高卒新人3試合連続ホーマーを放った。終盤にはマスクを被る機会も増え、41試合で打率.275、6本塁打、15打点と高卒1年目としては上々の成績を残した。
若くして結果を残した選手には慢心が生まれやすい。レギュラーを期待された2年目、袴田の目には森がプロを舐めているように映った。
「練習態度が良くなかったんですよ。タラタラとプレーしているように見えた。カチンときて、オープン戦の前に個室に呼んで『明日から二軍に行け』と怒りました」
森の表情は一瞬にして硬くなり、直立不動のまま沈黙した。温厚な袴田の激昂は19歳の心に響いた。当時の報道では〈対外試合で12打数2安打の成績に終わっており、8日に2軍行きを通告された。〉(デイリースポーツonline/2015年3月11日)と打撃不振が理由とされていたが、実質的には懲罰降格だった。
「友哉には『二軍で結果を残さないと一軍はない』と伝えましたけど、二軍監督の潮崎(哲也)には『開幕はスタメンで使いたいから、ミニキャンプを張らせてくれ』と頼みました」
森は態度を改め、初心に帰った。イースタン・リーグ8試合で打率.360と復調。開幕一軍を決めると、「全力でガムシャラにプレーしたい」と唇を噛み締めた。
「普段はヤンチャでかわいいヤツですよ。でも、いくら素質があっても練習を疎かにしたら、絶対に名選手にはなれません」