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「おいおい、まだ現役じゃないか…」“水島新司の草野球チーム”で138kmを投げて再びプロの世界へ…野中徹博が回想する「伝説の10.8」
text by
田中耕Koh Tanaka
photograph byJIJI PRESS
posted2023/06/25 11:02
1994年、中日時代の野中徹博。台湾球界を経てNPB復帰を果たし、リーグ優勝をかけた「10.8」にも登板した
「伝説の10.8」で松井秀喜をどう抑えたのか
3対6と巨人にリードされる中、8回を三者凡退に抑えた。9回の先頭は2番の川相昌弘。初球ストライクを取った後、観客席でトラブルがあったため、審判がタイムを取った。「待っている間は、なんとも言えない雰囲気でした」。これで集中力が切れてしまった。2球目に不用意なストレートをバックスクリーン前へ持っていかれた。巨人の長嶋茂雄監督はホームランを主張するが、認められず三塁打に。“幻の本塁打”となった。
それでも無死三塁と、大ピンチに変わりはない。ただ、不思議と野中は冷静沈着だった。
「もちろん最初にプロになった時は、先発ローテに入ってエースになるという夢は持っていましたよ。でも紆余曲折あって、野球界に戻れて……ただただこうして野球ができる幸せを噛み締めていました。個人成績よりも優勝したい。優勝メンバーでいたい。だからこれ以上、点はやれない。その一心でした」
台湾ではピンチの場面を任されることが多かっただけに、土壇場での投球術は染み込んでいた。3番の松井秀喜が打席に入る。2ストライクと追い込んだが、それから野中は外角のボールを要求する捕手の中村武志のサインに首を振る。
「中村はそのボールをひっかけさせたかったと思う。でも、松井は外のボールにタイミングが合いかけていた」
内角を攻め続け、最後はインコースの変化球で勝負して空振り三振に仕留めた。続く4番・岡崎郁と5番・原辰徳からもアウトを奪い、2イニングを無失点で抑えた。
敗れた中日は優勝を逃すが、視聴率はプロ野球中継史上最高の48.8%を記録。日本球界復帰1年目で好投した野中の姿に、ファンは惜しみない拍手を送った。
しかし、栄光は長くは続かなかった。1996年、星野仙一が監督に就任すると出場機会が激減。同年のオフに「2度目の戦力外通告」を受けた。
国内外の複数の球団から獲得に興味を示されていたが、それらを断ってまでも、野中は野球人生の最後の舞台として行きたい球団があった。それは“野村再生工場”と言われた、野村克也監督率いるヤクルトだった。そこで野中は、プロ野球選手としての悲願を遂げることになる。
<#4に続く>