アスリート万事塞翁が馬BACK NUMBER
「おいおい、まだ現役じゃないか…」“水島新司の草野球チーム”で138kmを投げて再びプロの世界へ…野中徹博が回想する「伝説の10.8」
text by
田中耕Koh Tanaka
photograph byJIJI PRESS
posted2023/06/25 11:02
1994年、中日時代の野中徹博。台湾球界を経てNPB復帰を果たし、リーグ優勝をかけた「10.8」にも登板した
ついに日本球界復帰「夢かと思うほど興奮しました」
日本球界への復帰を前提に帰国していた野中は、この報せを聞いて膝から崩れ落ちた。ただ、このまま誰かのせいにして、ふてくされて生きることは嫌だった。行動を起こさなければ、何も生まれない。野中は少年時代からファンだった中日の関係者に連絡し、テスト生としてキャンプ参加の承諾を得た。
キャンプも中盤に差し掛かっていた1994年の2月中旬。首脳陣はシート打撃での投球を見て、最終判断することを決めた。野中は主力打者を相手に快投した。ほどなくして、中日から合格の一報が届いた。
「夢かと思うほど興奮しましたよ。自分がもう一度、プロ野球選手になれるなんて信じられなかった。それも、子どもの頃から憧れていた中日で……」
5年ぶりの日本球界復帰。ただブランクもあり、当初は体がついてこなかった。寝違えたり腰を痛めたりと、開幕後は一軍と二軍を行き来する日々だった。夏場になってようやく体調が万全になり、一軍に再昇格。中継ぎで好投を続けてベンチの信頼を勝ち取ると、8月の巨人戦で2回を無安打無失点に抑えてプロ初セーブを挙げる。優勝を争うチームの欠かせない戦力になっていた野中に、さらなる大仕事が待っていた。
初セーブから2カ月後の 10月8日、舞台はナゴヤ球場。同率で首位に並んだ巨人との最終戦直接対決だ。勝ったほうが優勝というプロ野球史上初の“運命の一戦”で、野中は終盤のマウンドを託された。