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「おいおい、まだ現役じゃないか…」“水島新司の草野球チーム”で138kmを投げて再びプロの世界へ…野中徹博が回想する「伝説の10.8」
text by
田中耕Koh Tanaka
photograph byJIJI PRESS
posted2023/06/25 11:02
1994年、中日時代の野中徹博。台湾球界を経てNPB復帰を果たし、リーグ優勝をかけた「10.8」にも登板した
記者の話では、ある台湾のチームの戦力が不足しているという。
「ちょっと聞いてみるから、期待せずに待っていて」
すると、1週間もしないうちに台湾の俊国ベアーズから連絡が届いた。
「10月にキャンプがあるから来てほしい。入団テストをやるから」
野中がその話を聞いたのは9月下旬のことだった。138kmを投げたといっても、試合や練習は草野球でやっている程度だ。それに立ち上げた広告代理店のこともある。
「よければ時期をずらしてもらえませんか?」
「わかった。年明けにキャンプがあるから、そこに来てくれ」
北別府のフォームを真似て…台湾での大活躍
野中はその日の夜からランニングを始めた。そして近くの公園で、ボールを壁に当てて投球練習をする。3年もマウンドから離れていたため、投球フォームが思い出せない。参考にしたのは、無駄のないフォームから切れのあるボールを投げる広島の北別府学だった。高校時代に江川卓を真似たように、北別府のフォームを真似して投げ込んだ。年が明けてからは東京体育館のランニングマシンで汗を流し、ウェイトトレーニングをして、午後からは壁当て。それを繰り返した。まとまった練習時間を確保するため、会社は後輩に譲渡した。
俊国ベアーズの入団テストはキャンプ地の沖縄で実施された。ブルペンでの投球を首脳陣がチェックする。ストレートも制球も、隣で投げている台湾の投手より上だという確信があった。
見事に合格を果たした野中は、東京の家を引き払って再びキャンプに合流。そのまま台湾に渡った。
野中は台湾のマウンドで躍動した。1年目から、先発とリリーフで15勝4敗1セーブをマークする。かつてのドラフト1位右腕の大活躍に、日本の球団が黙っているわけがない。ビデオで投球をチェックしていた日本ハムが獲得に動いた。
しかし、ここで“事件”が起きた。俊国ベアーズのオーナーが「野中は絶対に渡さない。うちに保有権がある」と主張したのだ。これに対して日本のコミッショナーも「台湾のオーナーが保有権を主張している」とコメントしたため、野中の球界復帰に暗雲が立ち込めた。
ルール上は、野中が日本の球団に行くことは自由だった。ただ、台湾のオーナーの言い分と、それを鵜呑みにした日本のコミッショナーのコメントがメディアでも報じられ、ついに日本ハムが手を引いてしまった。