サッカー日本代表PRESSBACK NUMBER
「オレが一番ヘタや!」日本代表・守田英正が明かす「4年前、“第一志望”地元のガンバ大阪ではなく、フロンターレをあえて選んだ理由」
posted2022/12/01 17:02
text by
守田英正Hidemasa Morita
photograph by
Getty Images
日本サッカーが世界で戦うために最も足りないものは何か? サッカー日本代表・守田英正(27歳)は“ずる賢さ”だと即答する。全国的には無名の高校生だった守田はそのメンタルを武器に、流通経済大から川崎フロンターレ、そしてポルトガルの名門クラブへとステップアップしていく。
そんな守田が“勝つためにやってきたこと”を明かした自著『ずる賢さ」という技術 日本人に足りないメンタリティ』(幻冬舎)。そのなかから、第一志望だったガンバ大阪ではなく、川崎フロンターレをあえて選ぶ場面を紹介する。(全3回の2回目/#1、#3へ)
そんな守田が“勝つためにやってきたこと”を明かした自著『ずる賢さ」という技術 日本人に足りないメンタリティ』(幻冬舎)。そのなかから、第一志望だったガンバ大阪ではなく、川崎フロンターレをあえて選ぶ場面を紹介する。(全3回の2回目/#1、#3へ)
◆◆◆
練習参加で受けた衝撃「俺が一番ヘタや」
大学4年のとき、僕のもとにはいくつかのJリーグのクラブからオファーが届きました。
当初、僕が行きたいと考えていたのはガンバ大阪です。
JリーグだけでなくAFCチャンピオンズリーグで優勝した実績もある名門で、何と言っても大阪は僕の出身地。自分の力とチームの戦力を照らし合わせて、先発できる可能性も高いと予想していました。
流通経済大学の中野雄二監督にも「ガンバにしようと思います」と伝えていました。家族にもそう言いました。僕はすでに地元での華やかな生活を想像し始めていました。
しかし、ふとした瞬間に浮かれている自分に気がつき、漠然とした危機感が湧き上がってきたのです。
そんな中、熱心にスカウトの人に誘ってもらっていたので、一応、フロンターレの練習にも参加してみることにしました。
初日の衝撃は、今でも生々しく覚えています。
「俺が一番ヘタや!」
フロンターレの選手たちは狭い中でもボールをピタリと止め、その瞬間にフリーになった仲間にパスを出し、経験したことがないスピードでプレーしていました。
「ここにいたら間違いなくうまくなる」
「試合に出られないかもしれないぞ」
その日のうちに中野監督に「フロンターレに決めました」と連絡しました。