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「大学4年間、自分に課した恋愛禁止ルール」“無名選手だった”守田英正27歳が日本代表に成り上がるまで…忘れられない「妻に出会った日」
posted2022/12/01 17:01
text by
守田英正Hidemasa Morita
photograph by
Takuya Sugiyama/JMPA
そんな守田が“勝つためにやってきたこと”を明かした自著『ずる賢さ」という技術 日本人に足りないメンタリティ』(幻冬舎)。そのなかから大学時代に自身に課した「恋愛禁止」の場面を紹介する。(全3回の1回目/#2、#3も)
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大学時代に自分に課した「恋愛禁止」
大学時代には、才能を食いつぶしている選手を何人も見てきました。
たとえば選手の中には、1年のときからトップの試合に出るほど力があっても、女の子との遊びに走ったり、根性がなかったりして、だんだん序列が下がっていった人がいました。
大学のときに、遊びにかまけてドロップアウトしていくやつは腐るほどいました。
「おまえら何しに大学来たの」
心の中ではそう思っても、僕は上を蹴落としてでも這い上がらなければいけない立場ですから、何も伝えませんでした。
もったいないな、かわいそうだなと思いつつも、「俺だけは上に行くよ」と強く思っていました。
僕は大学へ行くとき、自分に課したルールがあります。
それは「4年間、恋愛禁止」。
高校時代の自分はかっこつけたやつで、校則ではジェルが禁止なのに髪につけ、坊主にさせられたこともありました。恋愛もそれなりにして、当時はつき合っている彼女がいました。彼女と自転車で2人乗りしているのが監督に見つかり、また坊主にさせられてしまいましたが。
でも、高校でそれなりに遊んだことで、大学ではサッカーだけに集中しようと心に決めたんです。
先ほど言ったように、無名の自分が他人と同じことをやっては勝てない。
流通経済大学サッカー部は全寮制なんですが、僕くらい寮にいた同期は少なかったです。
もちろんこういう自分の決心も、駆け引きの一部なので、チームメイトには誰にも明かしませんでした。「女っ気がなかったから、結婚したときはめちゃくちゃ驚いたぞ」
僕がプロ2年目に結婚したとき、たくさんの同期からそんなメッセージが届きました。
自分にルールを課していただけで、女の子に興味がなかったわけじゃないんです。
まあ実際のところ、恋愛する時間も、余裕もなかったんですが。
「こんなおもろない大阪人、おるんや」
ただし、4年間の恋愛禁止には代償もありました。
女性と駆け引きする力が、ほぼゼロになってしまったんです。