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ランシュー界のゲームチェンジャー。“厚底シューズの生みの親”HOKA共同創業者が明かす「“厚底”はアルプスを駆け下るための秘策だった」
posted2026/01/16 11:00
HOKA共同創業者のニコラス・マーモッド(Nicolas Mermoud)
text by

礒村真介Shinsuke Isomura
photograph by
Asami Enomoto
過酷なレースの苦い経験から生まれた革新的発想
「きっかけは2007年まで遡ります。私はその年の『UTMB』に選手として参加し、22時間30分51秒で3位になりました。でも、16時間が経過するまではトップを走っていたのです」
ニコラスは当時のレースを振り返る。UTMBは超長距離トレイルランニングレースの実質的な世界一決定戦であり、極めて過酷なコース設定でも知られている。名峰モンブランを抱くヨーロッパアルプスの険しい山道を舞台に、総距離170km、累積標高差は1万mに達する。
「何とかこのまま逃げ切りたい。後続に追いつかれないようにと、下りパートを全力で駆け下りました。UTMBのコースは1000m級のアップダウンが幾度となく繰り返されます。やがて私の脚は筋肉を酷使したせいでボロボロになり、大幅なペースダウンを余儀なくされました」
この苦い経験が、後のHOKA誕生につながる重要な転機となった。
「このレースをサポートクルーとして支えてくれたのが、後にホカの共同創業者となるジャン・リュック・ディアードでした。レース後にジャンと私は考え始めました。トレイルランナーの脚を護るために、オーバーサイズのテクノロジーを込めたギアが必要なのではないか。アルプスの下りを滑るように、転がるように走れるシューズを作ろう、と」
下りを楽しみたい
当時、多くのトレイルランナーは薄底のシューズを履いていた。軽さや脚さばきを優先するためだ。片や、アップダウンの激しい山道から脚を保護したい愛好家たちは、トレッキングシューズの延長線上にある剛性の高いシューズを履いていた。軽さを犠牲にしながらも不整地での安定性を重視する。それが最善手だと考えられていた。
ニコラスがこの常識に囚われなかった理由は、おそらくアスリートとしてのバックボーンにある。
「シャモニー近郊で生まれ育ち、幼少期から30歳くらいまで、冬場はずっとスキーをしていました。選手として競技もしていましたよ。夏はランニングやテニス、ゴルフや自転車レースなど、あらゆるスポーツを嗜んできました」
トレイルランニングを本格的に始めたのは比較的遅く、40歳前後だったという。
「アドベンチャーレースもやっていたので、その中に山を走る要素があったんですね。私たちは生粋のランナーではなく、道具を使うスポーツが好きでした。ゴルフやスキー、自転車競技では、高度な道具が必要になります」
ニコラスはトレイルランニングの本質について、独自の視点で捉えていた。
「トレイルでは通常、上るのは大変です。でも、下るのは楽しい。この点もサーフィンや自転車などの道具を使うスポーツに似ています。思い切ってダイブすればアドレナリンが湧き出します。そのときに十分な道具、テクノロジーの助けが得られないと、障害物に注意しながら、常にブレーキをかけ慎重に進まなくてはなりません。そうすると、せっかくの下りも心の底からは楽しめません」
そして彼は、他のスポーツで起きていた革新に着目した。
「ゴルフやテニス、あるいはスキーといったスポーツでは、オーバーサイズの製品が大きな変化をもたらして来ました。クラブヘッドやラケットの軽量・特大サイズ化に成功するたび、ユーザーはよりリラックスしてプレーできるようになりました」
特大サイズは特大の快適さをもたらす。パフォーマンスも向上し、その競技をもっと楽しめる。この技術革新をランニングシューズにもという着想が、秘密のレシピへと繋がっていく。
厚底シューズの初号機誕生
2009年3月、最初の試作シューズが完成した。ニコラスが持参してくれた現物には「フワフワした柔らかいミッドソール」「オーバーサイズでゆりかご状のロッカー構造」という特長が、すでに具現化されていた。
「このような特長を持つ、クッション性に優れたミッドソール向け樹脂素材を製造するよう工場に頼むことは、一筋縄では行きませんでした。当時分厚いクッション性のあるソールは主流ではなく、私たちは新進メーカーでしたから。フォーム材の密度を下げ、体積を2~3倍にする。ミッドソールの体積が増えれば、その分耐久性や耐衝撃性も高まります。また軽量化はクッション性向上に役立つだけでなく、反発弾性の向上にも効果的です」
期待を胸に、そして足元には初号機を履いて、地元アヌシーの湖畔にある1kmのコースへと飛び出した。そのときの下り坂の爽快感は、今でもよく覚えているという。
「一足目からいきなり、今までよりも速く、快適に、走れたのです。期待を遥かに上回っていました。手にしたときは、もしかしたら柔らかすぎて、安定感に欠けるかもしれないと不安も感じていました。でも実際は……嘘偽りなく、最高でした。いたずらにブレーキをかけてしまうことなく、スムーズに下れたのですから」
ただし最初の試作品には、改良の余地もあった。
「唯一気になった点は、ミッドソールの側面に無数のシワが生じたこと。ミッドソールの形状に工夫を施したので、今ではその心配もありません」
厚底シューズの本質的価値「ランニングは本当に楽しい」
ニコラスは、HOKAのシューズに込められた本質的な価値について、こう説明する。
「柔らかくボリュームのあるミッドソールの恩恵で、下り坂をリラックスして駆け下れるようになりました。さらにロッカー構造も欠かせないキーポイントです。ソールの形状をゆりかご状にします。加えて、かかと側からつま先にかけての高低差は従来のシューズよりも小さく、すなわちロー(low)ドロップに設計します。これにより、着地の一歩一歩が前進運動を生み、跳躍を促すんです」
その感覚は、ランニングの概念を根本から変えるものだった。
「歩く、走るといった動作を、滑走・転がり・自転車・飛行に置き換えたい――その願いが叶った瞬間でした。他のスポーツが持つファンライドの感覚を、ランニングにももたらせたのではないでしょうか。厚底シューズによるランニングは、本当に楽しいものですから」
偏見に対し、結果で証明
旧来のシューズとはかけ離れた見た目に、疑念を抱くランナーもいたという。
「好奇の眼差しを向けられ、中には大笑いする人もいました。超長距離トレイルのような、レベルの高いアスリートが集うレースでは、とくに。でも『UTMB』で3位という結果を残した後だったので、その実績が助けになりました」
ニコラスはレースの現場で、特に下りでその効果を証明していった。
「いざスタートすれば、中盤あたりまでは4位とか5位に位置していても、下り坂に差し掛かると一気にトップへと躍り出られることもあるんです。『このシューズは、もしかして!』と、受け入れてもらえるまでに時間はかかりませんでした」
“結果で証明する”という最もプリミティブな製品PRは、実は翌2010年の日本でも行われていた。HOKA契約アスリートが日本山岳耐久レース(総距離71.5km。通称ハセツネCUP)で初出場、初優勝をかっさらったのだ。
「日本における最初のビジネスパートナーから、『マーケットに訴求するには、日本山岳耐久レースで優勝すべきだ』と言われたのです。私は途中まで先頭を走っていましたが、水を補給できるポイントを見落とし、最後の下り坂では歩いていました。しかし一緒に来日した別のHOKA契約アスリートがトップでフィニッシュし、3名で競う団体戦でも3位に入りました」
HOKAの名前とロゴに込められた想い
こうして誕生したシューズブランドは、当初は今よりも少し長いフレーズで、「ホカ オネオネ」と名付けられていた。
「ブランド名はマオリ語で『Time to Fly(さあ、飛ぼう!)』という意味を持ちます」
そしてロゴには、HOKAの理念が象徴的に表現されている。
「ロゴデザインは、無重力、飛ぶようにというコンセプトから、大空を舞う鳥をモチーフにしています。颯爽と滑空する鳥が、こちらに向かって飛んでくるようなイメージ。その後、リヨンに住んでいる別のデザイナーが、鳥をネットの中に収める方法を考え出しました。HOKAの「O」の文字の中にね」
今ではトップアスリートも、市民ランナーも、ロードランナーもトレイルランナーも、厚底のシューズでレースを走っている。エクササイズのためのジョギング、あるいは街履きのウォーキングシューズでも、ミッドソール厚30mm以上の厚底シューズは完全に主流派となった。
「もしかすると、自動車のマーケットでSUVが主流になったことと相通ずるかもしれません。快適で、広々として、モダンで、移動することがラクで楽しく、安全になりましたよね。このムーブメントはスポーツ自体を向上させているはずです。楽しさと自由度が増し、安全性も高まりますから。でもまぁ、反対意見があっても構いませんよ(笑)。私たちフランス人にとって議論は日常茶飯事。同じ意見でなくても、友人であり続けます」
アルプスの山々を飛ぶように駆け下りたい。気心の知れたフランス人2人組の切望が、今日の厚底シューズ隆盛、ひいては記録更新ラッシュへと繋がっていく――。
最新のシューズで走るとアドレナリンが湧き出すのは、実は無理からぬ話なのだ。
ニコラス・マーモッドNicolas Mermoud
HOKA共同創業者。代表レベルのアルペンスキーヤーとして競技生活を送っていた。アドベンチャーレースやトレイルランニングでもトップアスリートとして活躍。2009年、ジャン・リュック・ディアードと共に、パフォーマンスフットウェアブランド「HOKA ONE ONE(現HOKA)」を設立。現在は、自身のルーツであるアルプスの麓アヌシーを拠点に、スポーツの楽しさを広める活動を続けている。

3フロア構成でHOKAの世界観に触れられる新ストア「HOKA Shibuya」が2025年12月12日(金)よりオープン
HOKA Shibuya(ホカ 渋谷)
住所:東京都渋谷区神南1-22-3 KCA 渋谷 1階 2階 3階
営業時間:11:00~20:00
定休日:不定休





