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サッカー日本代表PRESSBACK NUMBER
「今年ワンチャン選ばれるかなと思ってた」清武弘嗣32歳が明かす、日本代表への本音「日の丸をつける、国歌を歌うなんて経験できない」
posted2022/09/25 11:06
text by
栗原正夫Masao Kurihara
photograph by
J.LEAGUE
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「代表ワンチャンあるかなと思っていたので…」
「東アジアE-1選手権はぜんぶ見ました。セレッソで一緒だったとか、仲がいいとかを抜きにしても(水沼)宏太がいちばんいいプレーをしていたし、誰が見ても熱い気持ちを感じたんじゃないですか。あんな風に代表への思いをギラギラ出している宏太を見るのは嬉しかったです。もちろん、自分も今年は調子がよかったし、(E-1で)ワンチャンあるかなと思いながらプレーしていたので、その前にケガをしてしまった悔しさはありましたけど……」
7月に行われたE-1で同じロンドン世代、同学年の水沼の活躍に元日本代表MF清武弘嗣(32歳)は刺激を受けたという。自身も久々の代表復帰をねらっていたが、6月下旬に左足のじん帯を痛めてしまったことで約2カ月の戦線離脱を強いられ、2人の競演は叶わなかった。
清武が代表を離れてから約5年半が過ぎた。かつて自分がプレーしていた頃と代表を取り巻く雰囲気に変化を感じないわけではない。ただ、そこが憧れの場所であることに変わりないし、いまでも代表の試合は可能な限り見ていると話す。
「自分なんて……」と謙遜しつつも、E-1での復帰をどこかで期待していたと聞けば、清武がいまどういうスタンスで代表を見ているのか気になる。「もし自分が入ったら……」様々なことを想像しているのだろうか。
「いや、いちサッカーファンとしてですよ(笑)。ただ、最終予選ではサコ(大迫勇也)がCFに入っていたので、サコの周りにもう少しフォローする選手がいたら、とかは思っていました。サコとは代表で一緒にプレーしていたし。キープがうまいので、ボールが入ったときにトップ下でシンプルに受けてあげたら、もっと(攻撃が)スムーズになるかなって」
「代表ってもっとギラギラした場所だと思っていた」
小学2年のときに見た97年11月の“ジョホールバルの歓喜”はよく覚えている。フランスW杯出場をかけたイランとのアジア第3代表決定戦、第1次岡田ジャパンは岡野雅行の決勝ゴールで辛くも勝利しW杯初出場を決めたが、それが清武にとって日本代表のいちばん古い確かな記憶だという。
大分県大分市で育った清武は、父親がコーチを務めていた少年団でサッカーをはじめ、同じ小学校の先輩ですでに日本代表入りも果たしていた三浦淳寛に憧れ、ボールを蹴った。