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サッカー日本代表PRESSBACK NUMBER
「今年ワンチャン選ばれるかなと思ってた」清武弘嗣32歳が明かす、日本代表への本音「日の丸をつける、国歌を歌うなんて経験できない」
text by
栗原正夫Masao Kurihara
photograph byJ.LEAGUE
posted2022/09/25 11:06
セレッソ大阪・清武弘嗣(32歳)。日本代表として43試合に出場。12年ロンドン五輪では中心選手としてベスト4に貢献し、14年ブラジルW杯ではグループリーグ敗退を経験
「あのときはベンチに家長(昭博)くんも松井(大輔)さんもいたから、アップしながら『どうせオレは出ないだろう』って感じでした。でも、岡ちゃんがケガして家長くんが『オマエっぽいぞ』って。何かを考えるような暇はなかったですが、ここからスタートやな、とにかくガムシャラに結果を出そうという気持ちでピッチに入りました。僕が右MFで、右SBが(内田)篤人くんですごくやりやすかった。日本代表のユニフォームで初めて戦ったあのときの興奮は忘れないですね」
その後、清武は17年までに43の代表キャップを刻んできたが、いまも日本代表への思いはそのときと変わらない。
「これまでにも言っていましたが、代表に入って日の丸をつけると、そこから離れたくない気持ちが強くなるんですよ。満員のスタジアムのなか、整列して国歌を歌い試合に臨む、そんなことほかでは経験できないじゃないですか。言葉で表すのは難しいですが、1度経験すると手放したくなくなる……もちろん、国を背負うことは軽いものではないし、入るには覚悟が必要ですけどね」
ロシアW杯を逃して…「このままなら引退かも」
24歳で臨んだ14年ブラジルW杯は1試合に途中出場したのみで、出場時間はわずか5分ほどだった。以降、18年ロシアW杯に主力として出場することを目指し、アジア最終予選では7節(全10節)までの5試合に出場するなど終盤まで主力の1人としてプレーしていた。だが、ドイツ、スペインでのプレーを経て17年2月に帰国すると、同年3月を最後に代表から遠ざかる。17年6月のアウェイのイラク戦で招集外となると、キャリアのピークで迎えるはずだったロシアのピッチに立つことはなかった。
「あの頃はちょっと走ったら肉離れして、マジでケガを繰り返していたし。『全力でプレーできないオレみたいな奴が代表になる資格なんてない』と思っていました。もちろんロシアでプレーしたい気持ちはめっちゃ強かったですよ。ただ、僕は日本代表は最高のパフォーマンスを出せる選手が行く場所だと思っているから、ケガを抱えて万全でない自分が選ばれないのは当然やなと。代表って自分のためじゃなく、日本のため、日本サッカーのために戦う場所じゃないですか。だから、当時はケガが続いた悔しさもあったし『このままなら引退かも』って本気で考えていましたからね」
ロシアW杯予選終盤は確かにケガに泣いた。それでもハリルホジッチ監督が率いていたチームのなかで、清武がチームの中心になった瞬間もあった。それだけに、ロシア行きを逃した悔しさは相当だったはずだ。最後はハリルホジッチ監督も解任され、清武の夢は泡と消えたが、“清武待望論”がネット上で話題になったこともあった。
「こればっかりはしょうがない。自分で掴めなかったことなんで。努力や成長が足りなかったというしかないし、結局は本田(圭佑)さんだったり、岡ちゃん、(香川)真司くんのポジションを奪えなかったのは自分の実力。ハリルさんが続けていたらどうだったかとかはあまり意味がないと思います」
“サプライズ枠”は「まったくないです(笑)」
現在32歳。近年、選手寿命は伸びる傾向にあるが、清武はサッカー選手としてその年齢をどう捉えているのだろうか?