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サッカー日本代表PRESSBACK NUMBER
「オシムさんに『ブラボー!』と言ってほしくて」中村憲剛が振り返る“オシムジャパンで学んだこと”「飛躍的に伸びている実感があった」
text by
中村憲剛+戸塚啓Kengo Nakamura + Kei Totsuka
photograph byAFLO
posted2022/05/07 17:01
2022年5月1日に80歳で亡くなったイビチャ・オシムさん。日本代表で同監督の薫陶を受けた中村憲剛氏が、印象的な思い出を語った
オシムさんのもとで養った「自分で考える、判断して変えていく」というエッセンスは、チームでもやっていたことなので、オシムさんのトレーニングに苦しむことはあまりなくて。むしろ、楽しかったなあ。練習が終わると「ヘトヘトだよ」と言う選手が多かったのですが、僕自身はすごく楽しかった。疲れるけれど心地良くて、初めて呼ばれたときに「このトレーニングを日々積み重ねれば、絶対に伸びる」と思いました。
自分がチャンスだと思ったプレーやランニングをすると、オシムさんから「ブラボー!」と声がかかるんです。オシムさんに「ブラボー!」と言ってほしくて、どういうプレーで「ブラボー!」がかかるのかを観察しながら、覚えていった感じですね。
シュンさん(中村俊輔)も「オシムさんの『ブラボー!』はどんなプレーだろう」と言っていました。あのシュンさんにも考えさせる──僕のなかでは相当にインパクトがありました。
フロンターレへ戻って、トレーニングでオシムさんに「ブラボー!」と言われた動きをする。これがチームでもやっぱり、うまくいくのです。代表とチームで自分の役割が変わるところもありましたが、オシムジャパンでやっていたことをフロンターレでできないことはないし、やらないこともなかった。オシムさんから学んだことをフロンターレでもやることで、クラブと代表で自分を伸ばすことができました。
それも、飛躍的に。
「海外組」と「国内組」を平等に競争させた
ガーナ戦で代表デビューを飾った中村氏は、続くインド戦で先発フル出場し、代表初ゴールをマークする。その後は11月のサウジアラビア戦、翌3月のペルー戦と絶えず招集を受け、代表に定着していった。
中村氏だけではない。千葉でオシムさんの薫陶を受けた阿部勇樹や羽生直剛、「水を運ぶ人」と呼ばれた鈴木啓太らが、国際経験を積んでいく。ペルー戦からは満を持して海外組のふたり──中村俊輔と高原直泰が合流してきた。
◆◆◆
オシムさんは、海外へ行くことがすべてという人ではありませんでした。もちろん海外のクラブでプレーするのは素晴らしいけれど、テストマッチのたびにヨーロッパと日本を往復させるのは疲労が溜まるし、クラブでの立場がマイナスになることがある。その結果として彼らのキャリアに傷がつく、リスクがあるから呼ぶなら慎重にという考えでした。
同時に、海外でプレーする選手をリスペクトしていましたが、過度なものではないのです。Jリーグでプレーする僕らと、同じ評価基準で競争させていました。
オシムさんが示す基準へ向かって、誰もが全力で自分を高めていく。ものすごく健全な競争原理が働いていました。