- #1
- #2
サッカー日本代表PRESSBACK NUMBER
「オシムさんに『ブラボー!』と言ってほしくて」中村憲剛が振り返る“オシムジャパンで学んだこと”「飛躍的に伸びている実感があった」
text by
中村憲剛+戸塚啓Kengo Nakamura + Kei Totsuka
photograph byAFLO
posted2022/05/07 17:01
2022年5月1日に80歳で亡くなったイビチャ・オシムさん。日本代表で同監督の薫陶を受けた中村憲剛氏が、印象的な思い出を語った
ジーコさんが率いた日本代表に比べると、ネームバリューのある選手は少なかったかもしれません。けれど、選手が掘り起こされていくことで、すべてのJリーガーが「次は自分が」とメラメラと燃え上がっていた。それによって、Jリーグが活性化していった。
代表に選ばれるため、次も呼ばれるためにみんなが各クラブで必死にやっているから伸びる。これで楽しくないはずがありません。
代表に招集されるたびに、「今回の活動でどれぐらい伸びるかな」と思っていました。オシムさんに褒められたプレーは、絶対に自分のプラスになるという実感が得られていました。そういう感覚でサッカーができたのは、オシムさんの日本代表だけかもしれません。
薫陶を受けた選手たちに共通する「個人戦術眼」
オシムジャパンにとって最初で最後の公式戦は、07年7月に開催されたアジアカップだ。3連覇を賭けて挑んだ日本はカタール、UAE、ベトナムとのグループステージを首位通過し、準々決勝でオーストラリアをPKで退ける。しかし、サウジアラビアとの準決勝は2対3で競り負け、韓国との3位決定戦はスコアレスのままPK戦で敗れてしまった。
ベスト4という結果は、誰にとっても満足のいくものではなかった。それでも、チームを取り巻く空気はポジティブなのだ。未来への希望に満ちていた、と言ってもいい。
◆◆◆
アジアカップは面白かったですね。あの大会は勝ちにいくのはもちろんですが、オシムさんは並行してチーム作りをしていました。試合と試合の間のトレーニングが、めちゃくちゃキツかったんです。次の試合ヘの調整ではなかった。貴重なチーム作りの場になっていましたね。結果はベスト4に終わり、みんな落ち込みましたが、自分たちが伸びている感覚を得ることができました。
オシムさんのチームはランニングがクローズアップされますが、「考えて走る」という言葉どおり、「インテリジェンス」が肝だったと思います。素早い選択の連続のなかで正確にプレーできる技術が必要で、さらに明確なサッカービジョンと、戦術眼が求められていました。
オシムさんの日本代表でプレーした選手の多くは、長く現役を続けた印象があります。そこも「インテリジェンス」がキーワードなのかなと。それによって色々な状況に対応できる。加齢とともに身体能力が低下しても、しっかりとした個人戦術眼を持っているからどのような状況にも対応できるし、対応できるから重宝されたのだと思います。