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「この馬のおかげで今の俺がある。俺が金を出す」メジロライアンと横山典弘の絆…宝塚記念“最強のメジロ対決”なぜ武豊マックイーンに勝てたのか?

posted2025/06/14 17:03

 
「この馬のおかげで今の俺がある。俺が金を出す」メジロライアンと横山典弘の絆…宝塚記念“最強のメジロ対決”なぜ武豊マックイーンに勝てたのか?<Number Web> photograph by Sankei Shimbun

メジロマックイーンを破り、1991年の宝塚記念を制したメジロライアン。横山典弘は「俺の馬が一番強い」と信じ続けていた

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島田明宏

島田明宏Akihiro Shimada

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 宝塚記念は、過去10年で1番人気が2勝しかしていないように、なかなか順当にはおさまらないことで知られている。

 それと関連する部分もあるのだが、ここでGI初制覇を遂げたり、ここが唯一のGI勝ちであったりする馬が多いレースでもある。グレード制が導入された1984年から最初の10年は特にその傾向が強く、10頭の勝ち馬のうちGI級初制覇だった馬が7頭もいて、そのうちこれが唯一のGI勝ちとなった馬は5頭だった。

 その時代の「ザ・宝塚記念」とでも言うべき一戦――大本命が敗れ、なおかつ、勝ち馬にとって唯一のGI制覇となったレースとして筆者がまず思い出すのは――。

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 超ハイレベルな「メジロ対決」となった、1991年の第32回宝塚記念である。

“一強”マックイーンに挑んだ“善戦マン”ライアン

 その前年、1990年の有馬記念で、オグリキャップが「奇跡のラストラン」と呼ばれる感動的な復活劇を演じて引退。先に引退したスーパークリーク、イナリワンとともに築いた「平成三強」の時代が終わった。

 そしてこの1991年、クラシックで主役となったのは、皐月賞とダービーを無敗で制するトウカイテイオーだった。

 古馬戦線では、この年の春、祖父メジロアサマ、父メジロティターンにつづく天皇賞父仔3代制覇をなし遂げたメジロマックイーンが、「独裁者」とも言えるほどの強さを発揮しようとしていた。

 1991年6月9日、阪神競馬場が改修工事中だったため京都芝2200mで行われた第32回宝塚記念の出走馬は10頭。

 単勝1.4倍の圧倒的1番人気に支持されたのは、このとき4歳(旧表記5歳)だった芦毛の王者メジロマックイーンだった。前年の菊花賞を内田浩一の手綱で勝ってGI初制覇。メジロ牧場創設者・北野豊吉の「遺言」でもあった天皇賞父仔3代制覇を達成するため、「平成の盾男」と呼ばれた武豊に乗り替わっていた。武とは、どちらも完勝だった阪神大賞典、天皇賞・春につづくコンビ3戦目。死角は見当たらなかった。

 2番人気は同い年の関東馬メジロライアン。前年のクラシック三冠は3、2、3着で、有馬記念はオグリキャップの2着。この年の初戦となった中山記念は2着、前走の天皇賞・春はメジロマックイーンから3馬身以上離された4着に終わっていた。安定した強さは誰もが認めるところだったが、単勝4.1倍という評価は妥当に思われた。鞍上は、デビュー6年目、23歳だった横山典弘。前年キョウエイタップでエリザベス女王杯を勝ち、GI初制覇を遂げていた。

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