博多の人・王貞治BACK NUMBER
「人格者だよな」病に冒された日本一の功労者・藤井将雄…ホークスナインの思いと若田部健一の葛藤「本人には“知らない体”で話すというのがね…」
text by

喜瀬雅則Masanori Kise
photograph byKazuaki Nishiyama
posted2026/08/31 11:02
藤井は投手陣のまとめ役だった。その本当の病状をいち早く知らされた親友の若田部健一は苦悩することに
「ウチの兄貴は医者で、それまでは一度も入院なんてしたことなかったんだ。でも、体が悪くなったから入院する、ってなって、そういえば入院するのは初めてだね、って言ったくらいなんだよ。最初は平気で、身の回りのことも自分で全部できていたんだけど、それが日に日に、できなくなってくる。
人間の体の変化ってすごくてね。それが、藤井もこうだったのかなって……。ウチの兄貴が、日に日に弱くなっていくのを見ていたときに、ああ、こういうこともあるんだ。我々、健常者ばかりじゃないですか、周りがね。でも、やっぱり人間には、こういうことで勝てないものもあるんだ、っていう、ね……」
『真実』を知らされていたからこその葛藤が、王の心を揺らしていた。
苦悩する若田部健一
ADVERTISEMENT
そして、誰よりも辛かったのは、若田部健一だったかもしれない。
藤井の“真の病状”をいち早く聞かされた若田部は、監督の王、当時の選手会長で藤井とも親しかった秋山幸二、藤井に関する対外的な情報発信をコントロールしてもらうため、当時の広報で元ダイエー投手だった斉藤学の「3人には伝えました」。
ただ、それ以外のチームメートには、藤井の家族の強い意向から、どうしても伝えることはできない。親友が「死」に直面している。その真相を、当の本人は知らない。プロ野球選手としての誇りを持ち、復帰を信じるその思いこそが、藤井の生きがいにもなる。
そのための“雑音のない環境”を整えてあげたい。それは、気持ちでは理解できた。しかし、若田部も当時は30歳。あらゆる人たちの思いや事情を汲み取り、理解し、まるっと抱え込むだけの心の余裕は、まだまだなかったという。
「やっぱり苦しかったですよ。お母さんも妹さんもいて、本人には伝えていないということで、そういう対応をするしかないですよね。本人には“知らない体”で話さなくちゃいけないんで、それはやっぱり、ちょっと、何か……ね。普通にはしているんですけど、どういう風になっていたのか、それは分からないです」
それでも、時は流れていく。藤井のいないまま、2000年のシーズンが開幕した。
〈つづく〉

