博多の人・王貞治BACK NUMBER
「人格者だよな」病に冒された日本一の功労者・藤井将雄…ホークスナインの思いと若田部健一の葛藤「本人には“知らない体”で話すというのがね…」
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喜瀬雅則Masanori Kise
photograph byKazuaki Nishiyama
posted2026/08/31 11:02
藤井は投手陣のまとめ役だった。その本当の病状をいち早く知らされた親友の若田部健一は苦悩することに
「僕の中では、ずっと、今も生きていますからね、もちろん」
1軍監督という重責を担う今も、故郷・唐津で永遠の眠りについている兄貴に「定期的に挨拶に行きます。でも、お墓に行く、行かないの前に、ずっと心にいらっしゃる方です」。
その情熱的な雄姿と、苦しいときに支えてくれた恩と愛情は、決して忘れない。
王の悲痛な思い出
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リーグ連覇を目指す2000年。6年目の王ダイエーから、FAで巨人に移籍した工藤公康と、入退院を繰り返していた藤井将雄という、2人のリーダーがいなくなっていた。
その苦しい状況の中でも、王ダイエーは優勝争いに食らいついていた。
報道陣には、藤井が「間質性肺炎」で入院・療養中であると伝えられていた。
王に藤井に関しての思い出を尋ねると、あくまで「間質性肺炎」という“公的発表”をベースに、話が進んでいった。そこに、王の律義さを改めて感じることができた。
「あれ、何だったっけ? 間質性肺炎だったかな? それも、何が何だかよく分からないじゃない? なんで間質性“肺炎”っていうくらいで、野球ができなくなっちゃうんだ、っていうくらいの感覚ですよ」
もう、投げられないだろう。それどころか、間違いなく“死期”までもが近づいている。監督として、選手が不治の病にかかることなど、想像もできなければ、前例も、過去のそんな体験すらもない。その戸惑いとともに、王にとっては後に「間質性肺炎」というその病名に、また違った、悲しい思い出が結びついてしまう。
「ウチの兄貴も、間質性肺炎で亡くなっているんだよ」
王より10歳年上の兄・鉄城は、2008年12月に78歳で死去している。
王が2006年7月に胃がんに倒れ、手術を受けた際、慶大卒で消化器の専門医だった鉄城の紹介によって、がん治療の権威・北島政樹が主治医を務めることになった。王が野球の手ほどきを受けたのも鉄城からで、父・仕福が抱いていた切なる希望は、鉄城が医師、貞治が電気技師となり、祖国・中国のお役に立ってほしいというものだった。
兄は父の思いを叶え、さらに、プロ野球選手になりたいという弟の夢も支え続けてきた。

